3. 事件概要(その1)
倖を突然失ってしまった状況についてお話します。
昨年5月16日、朝9時頃、妻より職場に向かっていた私の携帯に一本の電話が入りました。電話の内容は倖が交通事故に遭ったこと、学校より連絡を受けて現場に妻が駆けつけた時にはもうすでに倖は救急車で搬送されていたこと、これから妻が搬送先の病院に向かうことといった報告を受けました。当時私は単身赴任で東京に住んでおり、私自身がすぐ現場に向かうことはできませんでしたので、倖はきっと大丈夫だから落ち着いて行動するようにと伝えて電話をいったん切りました。妻からの第一報によると倖は泣きながら救急車に搬送されたというような話も聞いておりましたので、私は怪我をしているかもしれないが命に関わるような事故ではないと思っていたのです。
しかし、その約一時間後に再度妻から電話があったときの第一声は「倖、ダメだった」という一言でした。妻はそれから言葉を発することができなくなり、治療に当たっていただいた医師の方が代わりに状況を話してくださいました。医師によると事故により内臓が大きな損傷を受け、延命措置を図っても助からない状況であったのことです。
私は、頭の中が真っ白で何も考えられなくなりながら、これは何か悪い夢を見ているに違いないと東京から札幌に帰る道中、眠れるはずもないのに何度も目を閉じ眠ろうと試み、悪夢から目を覚まそうとひたすら思い続けました。
しかし、搬送されている病院で出会った倖は冷たく、顔や手などのいたるところに大きな擦り傷を負っていました。
私は何度も何度も倖を抱きしめながら、「こんな思いをさせて本当にごめんな、痛かったな、苦しかったな、怖かったな」とずっと謝り続けました。
今この瞬間も、悪い夢であってほしいと思っていますし、倖に対する思いを全てお伝えすることはできませんが、今この瞬間も本当に愛おしくてたまらない、抱きしめたい、そう思ってやみません。
4. 事件概要(その2)
今回の私たちが受けた被害についてですが、今日まで私は「事故」という表現ではなく「事件」、そして「交通事故」ではなく「交通犯罪」という表現で伝え続けています。それは私たちの被害が運転手の突発的な運転ミスにより引き起こされた「事故」ではなく、自己中心的な判断・行動を自ら選択し続け、偶然ではなく必然性を持って発生させた犯罪であることが明らかになっているためです。
現場は片側一車線の横断歩道のある道路となります(写真1)。息子が通っていた小学校のすぐ近くであり、登校時間でもありますので多くの子供達の他に、横断歩道には旗を振って誘導してくださるボランティアの方もいらっしゃったと聞いています。見通しの良い道路であり、ボランティアの方が誘導してくださっている状況から見ても、通常運転手が信号や息子を見落とすことはない状況であったと思います。

写真 1:現場状況
しかし息子は横断歩道が青信号になり、ボランティアの方が旗を振って横断を促していただいたにもかかわらず、減速もしない加害者に跳ね飛ばされてしまったわけです。
またこの事件が発生する前に、加害者は二つの事故を起こしていることも捜査の中で明らかになりました。一つは息子をはねる前日の5月 15日、加害者は停車中の前方車両に衝突する物損事故を起こしています。そしてもう一つは5月16日の事件当日、息子をはねる直前の300mほど手前の現場でカーブを曲がりきれず、歩道の支柱2本をなぎ倒すほどの強い衝撃で接触する物損事故を起こしていました(図1)。
しかし加害者は、支柱に接触したことも息子をはねたことも記憶が無く、はねた直後も息子を救護するわけでもなくその場に立ちすくんでいたそうです。そして事情聴取で事件発生時に正常な運転ができない意識レベルであったことが明らかになりました。しかしこの健康状態(意識レベル)の悪化は突発的に発生したのではなく、加害者が自身の健康状態が悪化する可能性を認識しておきながら自らハンドルを握るという選択をしていたことがさらに判明したのです。