「ガソリン値下げ」と「財源」
昨今、野党が騒ぐ「ガソリン値下げ」と与党が腐心する「財源」とは何だろうか。
日本では律令時代(およそ7~10世紀)に整備された五畿七道が、記録のあるもので最も古い道路整備にあたるだろう。当時はまだ地方行政機関も未整備だったが、通信や人流の中継地となる「駅」が主要街道沿いに設置されて、人馬の休息や宿泊、通信文(手紙)の中継を受け持った。
それから長らく江戸時代までは旅客は歩き、貨物輸送には船と馬や荷車が使われていたが、明治になると自転車と鉄道が輸入されるようになった。明治末期から大正にかけて自動車も使われるようになるが、今のように濫用されるものではなく、旅客は路線バスを利用していた。
今のような「道路整備」が始まるのは、太平洋戦争後に日本を占領していたGHQが撤退した後まもなくの1956年、米国のワトキンス調査団が日本の建設省に提出した報告書がきっかけとなる。「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない。」[5]といった脅し文句から始まる報告書をきっかけに、政府は高速自動車道路の整備に邁進するとともに、一般国道や主要地方道などの幹線道路も全国で計画・整備された。
自動車メーカーはクルマを売って儲ける商売だが、自動車は道路がないと使えない道具なので、商品を売るために道路が不可欠だ。今でこそ米国の産業構造は金融や情報等のサービス業がGDPの過半を占めるが、当時の米国はフォードが量産で軌道に乗った頃であり、まだ基幹産業が自動車と石油だったので、占領した日本でもクルマを売りたいのに道路が未整備で売れないという背景があったことは想像に難くない。
しかし道路整備には莫大な費用がかかる。高 速道路は当初は世界銀行などから融資を受けて建設し、通行料収入で返済する枠組みとなったが、一般道の整備は後に「日本列島改造論」で知られる田中角栄氏が一議員時代に主導して自動車および燃油の税制を整備し、これらを「道路特定財源」としていた。さらに1966年からは建設国債も発行して、自動車諸税に限らず広く国民負担により自動車のための道路が建設されるようになった。
詳細は『自動車の社会的費用・再考』第4章「道路に関する動き」を参照されたいが、つまり自動車諸税は元々道路の利用料のようなもので、しかし受益者負担だけでは足りずに非受益者も(一般財源から)負担しているし、その傍らで発生する自動車が引き起こす公害等の負担を自動車ユーザーはほとんど負担していない状況にある。このような受益者以外に転嫁されている費用を「外部費用」や「外部不経済」と呼び、「自動車の社会的費用」問題につながる。
生活道路は誰のもの?
ところで、ひとくちに「道路」と言っても様々な形態があるが、かつて「道路特定財源」と呼ばれた自動車諸税(現在は一般財源化されている)を原資に行われる道路整備は「バイパス」「高規格道路」などと呼ばれる主に自動車を円滑に通すための道路や、自動車を円滑に通すための踏切の除去など、クルマを通すことを主眼に置いた道路にほぼ限られている。
自動車が輸入される以前から整備されていた街道や農道などはもちろん、今でも住宅地内の細街路等は主に近隣住民や宅地開発業者(→将来宅地を購入する住民)の負担により整備されている。戸建て持ち家に住んでいる人は、建て直しに際し敷地の一部を道路に取られた経験をした人も少なくないだろう。細かい話は割愛するが、細街路等は今も昔も主に民間が土地を拠出して整備されてきたものだ。
また、都市部においては固定資産税に加えて都市計画税が課税されることが多いが、これも主に都市計画道路の整備に使われてきた[6]。
かつては鉄道でも地元の盟主が土地を寄付して線路や駅を誘致したといった事例はよく聞かれたが、道路は地域に住む人や経済活動をする人が中心となって整備してきたものだ。固定資産税や都市計画税は、かつての地主による自主的な都市整備負担を税制化して広く薄く負担する形にしたものと捉えることもできるだろう。
よって、住宅地等のいわゆる「生活道路」は自動車諸税で整備されたものではない。「私道」であっても特に制限なく誰でも通れることが多いが、それを悪用して住宅地内を抜け道に使う自動車や、歩行者等を蹴散らしながら我が物顔に走る自動車は完全なるフリーライダーであり、自動車の外部不経済のひとつである。
【脚注・出典】
5. 武部健一『道路の日本史 古代駅路から高速道路へ』(中公新書、2015年)
6. 都市計画道路や駅前等再開発(による道路用地捻出)に加え、公園や駅前広場、駐車場、下水道などの都市基盤整備にも使われているが、都市公園は生活道路で遊ぶことを禁じられた子どもたちの滞留場所としての役割があって自動車の社会的費用の一部と見ることもでき、自動車が関係しないのは下水道などの一部に留まる。