日本が「マイカー亡国」に至るまで ~『マイカー亡国論』を振り返る

「マイカー文明」へのスタート

本書では「マイカー文明」出発の四条件として、
1.マイカー所有欲求の強さ
2.運転免許取得者の数
3.経済力
4.道路とパーキング―空間的条件を挙げている(p10)。

1960年台は「高度経済成長」と呼ばれる時期にあたり、「クルマ(Car)」「クーラー(Cooler)」「カラーテレビ(Color TV)」が「新・三種の神器」であると大いに喧伝され、広告宣伝によりマイカー所有欲が惹起された。

1960年に道路交通法が施行され、指定自動車教習所の設置基準が再整備されて、全国展開されるようになった。

大都市圏整備法が整備された。1956年に首都圏整備法が、1963年に近畿圏整備法が、1965年に中部圏開発整備法が制定され、大学等の大規模公共施設を郊外へと移転させるなど、三大都市圏が政策的に拡張された。

1968年に都市計画法が再制定され、今なお整備が続けられている都市計画道路計画の多くは 60年近く前に描かれたものだ。

そして1957年に駐車場法が制定され、以降、クルマのための道路と駐車場が急ピッチで整備されるようになった。

このように、「マイカー文明」出発の諸条件が 1960年前後に政策的に満たされていった。

ちなみに駐車場については、本書が著された 1960年台のマイカー利用者はまだ「収入がひじょうに高い」人が中心だったので、空地を一時利用した有料パーキングが比較的栄えていたそうだ。しかし「本格的モータリゼーションの時期には、無料パーキングこそが、普及の前提とされている」と指摘している。(p16)

今では大規模商業施設などがこぞって無料の駐車場を提供し、地価が高い都市部でも戸建ての建売住宅にはほぼ漏れなく車庫が付いてくる[3]。さらに道路上には違法駐車が溢れているのに警察すらまともに取り締まっていない様子は、皆さんも近所の道路で嫌と言うほど見ていることだろう。

マイカー“生活必需品化”への道

本書が比較検討している米国では、マイカーが“生活必需品”になる素地があった。自動車産業発祥の地であるとともに、国民所得が高く、かつ広大な農村に裕福な農家が点在しており、都市では公共交通機関が未発達であった。しかも馬車等が使われていたので、道路インフラを引き継ぐことができた。

一方で、欧州や日本の都市では鉄軌道や路線バスが発達していたのだが、“先進国”の米国でクルマが普及したのだからそれが必然なのだと鵜呑みにしてしまう。そして、例えば当時の東京では都電が網の目のように走り、最盛期の1955年頃には約213kmの営業キロを誇ったが、クルマを走らせるのにジャマだとして1967年頃から続々と撤去されてしまう[4]。1974年には荒川線のみ12.2kmにまで減ってしまった。

対して道路には出血大サービスだ。自治体は生活福祉的支出を削って道路整備費用を捻出し、マイカー公害(交通事故、渋滞、大気汚染、騒音、美観の破壊)を防ぐ費用も出すことができない。道路の拡大はマイカーの増大を刺激し、“出血”が拡大する。湯川氏はこの様を“ダンピングされた道路”と呼び、マイカーが不当に安く道路を利用していることを警告している。

そして、マイカー増大の結果が郊外化の原因となり、その郊外化がマイカー増大の原因となって…という因果な悪循環になる、と指摘している。

低密度地域ではバスなどがサービス水準を低下してゆき、マイカーを持たない人は無理をしてでもやむを得ずマイカーを買って、公共交通の劣化に力を貸す人が増えてゆく。「マイカー文明」スタート時点では「経済力のある人」が「自由な選択」で乗っていたものだったが、この「必需品化」の過程で、倒錯してしまう。

マイカーの選択は、もはや「真に自由な個人の意志」に委ねられたものではなくなり、他者の「自由」の結果に強制されたものとなる。

今でも「マイカーはすぐれた乗り物だ、そしてそれを選択するのは自由だ」といった主張をする人が散見されるが、「必需品化」の過程では「強制」になっているのだ。


脚注・出典

3.  駐車場(自動車車庫および自転車駐輪場)は建築基準法における容積率から除外される(自治体により条件が異なる)ことから、都市部では建売業者が小分けした狭い土地に建物をびっしり建てるために駐車場(カーポート)が設置されている側面がある。裏返せば、政策的に戸建て住宅には車庫を設けるよう誘導しているようなものである。

4.  東京都品川区「しながわデジタルアーカイブ」より『品川区史 通史編 下巻』「都電の撤去」