『突然「被害者遺族」となって… 〜9歳で生涯を終えた息子と共に歩む道〜』

5. 事件の要因・背景

事件の背景について説明します。

加害者は十年来糖尿病を患っており、医師から血糖降下作用の強いインスリンを注射して血糖値をコントロールする必要がある治療を長きにわたり受けていました(図2)。

説明資料です。加害者は糖尿病を患い、治療を受けていましたが、1日3回注射が必要なインスリンは体調がすぐれない時しか注射しなかったこと等。

図2:加害者の背景

インスリン注射は、飲み薬よりも短時間で急激に血糖を下げる作用がありますので、必ず食事を摂取した上で投与するよう、処方時に医師・薬剤師等より説明・指示を受ける薬剤です。

食事を摂取せずにインスリンを投与すると、急激に血糖値が低下し、脳に血液が行き届かない状態になり意識障害を引き起こすと言われています。

しかし加害者はかねてから朝食をとらない食習慣を続けており、息子をはねた当日も運転15分ほど前にインスリンを注射し食事を取ることなくハンドルを握り、運転を開始して間も無く意識を失い、鉄製の支柱二本をなぎ倒したことに気づかず、赤信号を確認することも減速することもなく息子に衝突したのです。

息子は九歳、小学校四年生です。相手方の車両は大きなワンボックスカーでした。私も横断歩道を渡っている際に時々フラッシュバックするのですが、自分の背丈よりもずっと大きな鉄の塊が自分に向かってくること。その恐怖ははかり知ることができませんし、そんな思いをさせてしまったことを悔やんでも悔やみきれません。

私が声を大にして伝えたいのは糖尿病が悪い、病気になるのが悪い、インスリンが悪いということではなく、正しい治療を受けようと定期的に受診することを自ら拒み、かつ医師の指示通りの服薬を行わない、その結果意識障害を引き起こす可能性が高いことを知っておきながら平然とハンドルを握ってしまった。その行為が悪質極まりないものだということです。

息子を殺してしまった加害者を擁護するつもりはもちろん一切ありませんが、人間には間違った判断を選択してしまう動機やその機会・タイミング、そして正当化してしまう心理があるのだと思います。

6. 被害者参加制度で法廷に立つ

息子を亡くしてからの私たちは当然ながらこの先どう生きていけばよいのか、その希望を見失ってしまいました。生きる意味を見つけられない私は毎日「パパどうしたらいい?」と倖に話しかけておりました。
そこで倖から帰ってきた言葉が「パパどうして僕は死んじゃったの?」ということと、「友達が同じ目に遭わないようになってほしいな」という二つのメッセージでした。この二つのメッセージを行動に変えていくことが私の使命だと考え、日々生きて行くことにしたのです。

まず「パパどうして僕は死んじゃったの?」という倖の声に応えることは事件の真相を明らかにすることであると考え、加害者の声を聞き、加害者に倖と私たち家族の魂の叫びを伝えるために被害者参加制度を用いて、裁判の中で加害者に直接質問・意見陳述を行いました。

被害者参加制度というのは一定の訴訟活動を被害者や遺族が公判時に直接行うことができる制度であり、法廷に出席し被告人に質問や意見陳述を行うことができます。私は裁判への参加を申し出、実際に被告人に対して質問並びに意見陳述を行いました。

法廷で私は加害者に対して「なぜ医師の指導や服薬の指示を守らなかったのか?」「このような行動・判断を行った自身の性格をどう思っているのか?」など加害者が自身の犯した罪を自らの誤った判断・選択の積み重ねにより、「偶然」ではなく「必然」として引き起こした事件であることを明らかにするための質問・意見陳述を行いました。

意見陳述を行う際、私は検察官席で胸ポケットに納めていた倖の写真に触れて「パパに力を貸してね」と伝えて証言台に立ちました。証言台の中では自身の想像以上に大きな声を出し感情を表現している自分がいました。「倖の声をしっかり届けるのだ!」という私の想いに加えて、発することのできない息子 倖の声が重なり加わって表現されたのだと思います。

当初は私が法廷で発言するよりも、検事や弁護士の専門的観点から追及することが判決に良い影響をもたらすのでは、と思っていましたが、担当弁護士の方から「お父さんが直接被告人や裁判長に声を届けることに大きな意義があります」と背中を押していただきました。
加害者と直接対峙した際に自分をコントロールできるのか不安もありましたが、倖が私の後ろでしっかり支えてくれたと思いますし、私たちの声なき声を直接加害者にぶつけることは大きな意味があったと今は思っています。