8. 「クルマ社会を問い直す」ことの意義について
この度、本会に入会した動機も含めてクルマ社会に対する私見を述べさせていただきます。
息子を失った現実に向き合う中で以前と大きく変わった私の意識として「ドライバー/クルマ優先の日本社会・ヒトの価値観が根強く存在している」という点があります。
そう意識させた背景の一つに「本来ハンドルを握る資格のない人間が今日も存在し運転している」という点があります。「病気」「年齢」「国籍」などカテゴリーは様々だとして、リスクの高い人間に運転免許を与えない、もしくは更新を許可しないという判断を下す機能が整備されていないのではという疑問、不適切な運転リスクのあるドライバーにハンドルを握らないよう注意指導する社会・組織(会社組織含め)の仕組みが欠けているのではという疑問を強く感じます。
私たちの被害だけ見ても、なぜ公安委員会は息子の命を奪った加害者に意識障害を起こすリスクが高いにも関わらず運転免許を与えたのか、食事を取らずにインスリンを投与し続けた加害者になぜ医療機関はインスリンを処方し続けたのか、職場の同僚・上司は前日にも意識障害が影響を与えたと推察される事故を起こしている加害者に対して、医療機関の受診や運転中止を指示できなかったのか(職場は事故を起こした加害者の自家用車の代車として会社名義のレンタカーを与えていた)など、悲劇を回避する機会、ターニングポイントは何箇所もあったと考えます。
その中で誤った判断を選択する動機の中には「免許を保持していれば運転することができる」という権利ばかり保護されている、いわゆる「ドライバー/クルマ優先の日本社会・ヒトの価値観、意識」が社会全体を通して蔓延している。それが交通社会における弱者である歩行者を保護できていない背景にあるのではと強い懸念を感じています。
併せてこの「ドライバー/クルマ優先の日本社会・ヒトの価値観」が大前提にあることで、被害者を生まない、被害に遭わないための方策・指針ばかり検討されているという本質のすり替えが生じているように思えてなりません。
誰しも加害者にも被害者にもなりうる社会であるのは紛れもない事実と考えますが、原理原則から見て「加害者が生まれなければ被害者は生まれない」のです。そう考えた時、クルマ社会において圧倒的強者はクルマ、圧倒的弱者は歩行者であるわけですから、クルマとそれに関わる人間・社会は車の強力な殺傷能力を限りなくゼロに近づける対策に永続的に取り組むこと、これが最優先で実行される社会であるべきです。あくまで私見ではありますが、弱者の対策強化や意識向上ばかりフォーカスが当たるような風潮、世の中になっているように思えてなりません。
このような背景・思いも含め、本会に入会いたしました。
まだ入会したてでありますが、会員の皆様の入会動機や社会に対する思いは様々ですので、今後は私自身気づけていない価値や切り口、知見を吸収していきたいと考えています。
9. 9歳で生涯を終えた息子と共に歩む道
最後になりますが、全ての希望を失った私の存在意義は「友達に同じ思いをさせないでほしい」という息子 倖の声無き声を実現することほかありません。そのために会社を退職し交通犯罪撲滅に向けた活動に注力することとし、現在は本会会員でもある前田敏章さんが代表を務める「北海道交通事故被害者の会」に所属し、各種啓蒙啓発活動を行っております。
クルマ社会における事故の発生件数や死傷者を減らすことではなく、「悲しみの数をゼロにする」ことが本来あるべきクルマ社会の一つのあり方であると考え活動してまいりますので、お力添えいただけますと幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
(北海道札幌市在住)