運転免許更新

神田 厚

1月29日に、5年振りの運転免許更新に出掛けた。

今から20年以上前。
『クルマが優しくなるために』(杉田聡著:ちくま新書)を読み終えた日に、“自分の足としてのクルマは一生持たない“と決意したのだが、仕事や家族の介護などで必要になる可能性は否定できず、免許更新は続けて来た。

最後にハンドルを握ったのは、教師として最後に勤めた学校の公用車(軽トラック)で、問題を起こした生徒の家庭訪問に行った時。実に、10年以上前のことである。

その教師も退職したし、2人の子どもも巣立った。
今は、実家で身体が不自由になりつつある母に寄り添って暮らしつつ、たまに自宅に帰って来る…お金のもらえない単身赴任のような生活となった。

衰えゆく母との2人暮らしで、いよいよクルマの出番か?と言うと、そうではないのだ。
母は「あなたがクルマを運転しないことが、私の1番の安心」と繰り返し言う…。“息子が怪我
をしたり、よそ様を傷つける心配が無い”これが何よりの安心なのだ。「いざとなったら、タクシーを頼めばよい」と…。

つまり、私にとって、一生ハンドルを握る可能性は無いと思われる今、“更新”ではなく、地 元のバスが半額となる“返納”も頭をかすめたが、 “更新”を決断した。免許更新を体験に行ってみようと…。

更新料を払い、先ずは“適性検査”と言う名の視力検査。隣りで受けていたお年寄りに検査員が
「う~ん…違いますね…」
「少し休んでから、もう一度受けますか?」と尋ねているのが聞こえて来た。
親切心からの声掛けだとは思うが、これに対して老人は「いえ、結構です」と毅然として拒否。つまり、その場で免許更新の断念を決断したのだ。

私は心から拍手を送りつつ、次の申請書類のチェックへ…。
OKが出ると直ぐ隣りで写真撮影。撮影が終わると、更新講習室へ案内される。違反の無い(そもそも運転をしないので)私は優良者講習、減点があった人は一般講習の部屋へ…。

部屋には、車両の仲間入りをした『特定小型原動機付自転車』(電動キックボード)の基本的なルールのビデオがエンドレスで流されており、私は興味深く見ていたが、大部分の人は、スマホをいじって講習の開始を待っていた。

スクリーンの後ろのホワイトボードの端に、昨 年の三重県内の交通事故状況が掲示されていた。前年比で人身事故は252件減少、物損事故は 1,075件増加…とあるが、これは鵜呑みにはできない!
前回の更新以降に読んだ『交通事故は本当に減っているのか?』(加藤久道著:花伝社)によると、自賠責保険の支払い実態と警察統計との間に著しい乖離があり、警察統計で物損事故として扱われている事故の中に“隠れ人身事故”の存在があると…。

部屋が一杯になると、係員が入って来て“居眠りや私語は厳禁”といった注意をした上で講習と言う名のビデオが始まった。
係員は机間を歩いて回り、受講証に受講済みの押印。終えると部屋から出て行ってしまい、ビデオが終わる頃やって来て、簡単にまとめの話をして講習は終わった。
この講習の意味は、先ほど撮影した顔写真を入れた免許証が出来上がるまでの、単なる時間稼ぎ程度の意味しかない。

つまり、更新者に課されているハードルは視力検査のみ。それも、運転中に問われる動体視力ではなく静止視力のみなのだ。
静止視力でさえ基準に達しなかった老人の“更新断念の判断”は至極真っ当なものだが、休憩をさせて何度も受けさせて通す…そんなことが行われているとしたら…それは、果たして親切なのだろうか…?

一歩間違えば殺人者となってしまうような運転免許という資格の更新が、こんな緩くていいはずがない。
少なくとも、筆記試験があってしかるべきと私は思う。マークシートなら、採点にもそんなに手間は掛からないだろうし、最新の道路交通法や歩行者優先という根本原則を、筆記試験で問い直し、形ばかりででも、数年に一回はこれを再確認する義務を、ドライバーには負わせるべきだと…。

私にとって、もはや身分証明書としての役割しか無い運転免許証。紛失の実害はマイナンバーカードよりも遥かに少ないので今回は更新したが、筆記試験が課されるようになったら迷わず返納するつもりだ。
70歳以上で課される“認知症検査”の問題集まで買って準備しようとは思わないので、更新もあと1回だと考えている。

今回の講習で1点だけスッキリしたことがあった。
県内の死者が前年比で減少していた場合、まるで“良い事”のように数字を紹介する講師に出会い、新年早々に暗い気持ちになったこともしばしばだった…。今回の講師は語った。
「減ったとは言え、本来はゼロでなければならないものであり、そこを目指さなくてはいけない」と…。
(三重県津市在住)