クルマ社会の課題と会の見解

事故のリスク責任は誰に

投稿日:2022年8月12日 更新日:

池袋の暴走事件現場には、市民の募金をもとに豊島区が交通事故根絶を願う慰霊碑を設置した

池袋の暴走事件現場には、市民の募金をもとに豊島区が交通事故根絶を願う慰霊碑を設置した

 2019年4月に池袋で起きた暴走事故(事件)。正しく横断歩道を渡っていた母子に、猛スピードで車が突っ込み、2人の命を奪ってしまいました。このような悲惨な事故は絶えず繰り返されています。
 ドライバーの皆さんは、人身事故がどのくらい起きているかご存じでしょうか。自動車損害賠償責任保険の実績によれば、19年には約100万件超の支払いが発生しています。交通事故は身近なもので、もっと運転の危険性(リスク)を意識する必要があると思います。

運転者に責任が

 車が発明されて以来、運転者以外への安全配慮は足りなかったのではないでしょうか。
 その最たる例が、車には、誰もができる非常停止の方法がないことです。一般の機械には異常が生じたとき、誰でも停止できる仕掛けが施されています。しかし車にはその配慮がありません。池袋の事故の際、同乗者が車を止められる仕掛けがあれば、犠牲が出ずにすんだかもしれません。
 車にはハンドル操作ひとつでどこでも走れるという自由があり、エンジンの性能が許す限り、とてつもなく速いスピードを出すことができます。一方で、運転者の操作ミスがあれば進路を簡単に逸脱し、暴走もします。しかしそれを防ぐ装置がない車がほとんどです。
 最近は、ペダルの踏み間違い事故が頻発しています。車はアクセル(加速)とブレーキ(減速)の踏み違いを起こしやすい構造なので、運転操作を誤った場合には極めて重大な暴走状態に陥る危険があるのです。操作ミスなどで事故を起こしたら、車の構造がそれを誘発したとしても、運転者は責任を問われることになります。

運転者は完全か

 道路は、歩行者と車が道路という平面を共有し、交差通行するというきわめて事故の起きやすい危険な場所です。

車がすれ違うのも大変な狭い道を歩行者、自転車が共有する

車がすれ違うのも大変な狭い道を歩行者、自転車が共有する


 
狭い道

狭い道

 しかしこれまで道路の構造はあまり進化していません。運転者が健常で規則を守り、運転に集中し、正しく操作しているなら事故は起きないという大前提で、車は造られてきました。ところが事故原因の分析結果は、その大前提が成り立っていないことを示しています。(図1)

図1 運転者(第1当事者)の人的要因別死亡事故件数(2017年)(警察庁「警察白書」2018年版)

図1 運転者(第1当事者)の人的要因別死亡事故件数(2017年)(警察庁「警察白書」2018年版)(※クリックすると大きな画像が表示されます。)

 自分は絶対によそ見はしない、交通違反や操作ミスもしない、と言い切れる運転者はいるでしょうか。何百万人、何千万人もの運転者が同時にハンドルを握り、運転しているという恐ろしい現実を考えれば、不完全な人間の能力と行動に頼らない安全対策が大事だと思います。

行政の責任とは

 運転者の安全運転能力を保証するために、行政は運転者の適性を正しく判断して免許を与え、適性を維持させる必要があります。でも現在の免許制度で十分でしょうか。
 疾病のありなし、視力視野などの身体チェックを行う間隔は適正でしょうか。正しい運転の仕方、法規の理解と遵守などは、一度免許を取ってしまえば再び確認されません。更新時のテストが必要です。
 大事故を起こした運転者を交通の現場から排除するには、厳罰で臨むことも必要ですが、今の法制度で十分とは思えません。

狭い道

狭い道

精神論ですむか

 車の発明は、人類に多くの利便性をもたらしましたが、一方で最も危険な発明の一つだったといえます。「車を安全に使わないのは運転者の責任」という都合のよい精神論で、行政とメーカーは逃げてきたのではないでしょうか。
 さすがに最近では、安全意識の高まりから徐々に、安全機能が装備された車が売られるようになりましたが、まだまだ未装備の車は多いです。
 これまでの膨大な死傷者数を考えれば、安全運転を怠る運転者だけでなく、安全対策に手をこまねいてきた行政とメーカーの責任は極めて重大だと思います。

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