マイカー“必需品化”の完成
このようにマイカーの“必需品化”が完成することで、まずは公共交通体系が破壊されてゆく。本書では米国国民の例を示し、マイカーなる魔性のものにいれあげてきたお金がいかに巨額かを図表で示している。そして、魔性のマイカーに乗る人数と、鉄道やバスに乗る人数の移り変わりも示している。
公共交通が衰退する主な原因は、公共交通は低密度に拡散した郊外で客を集められないことと、鉄道運賃よりマイカー支出が安く見えることによる。
値が張るマイカーは一度持たれると、「吝嗇的」[5]に多面に利用されることになる。ひとたびマイカーを手に入れると、本体購入費や車庫などを含めた全費用を考慮しなくなり、乗車ごとに支払うガソリン代や有料道路、有料駐車場などに支払う限界費用[6]しか見えなくなってしまう。それを鉄道運賃(日本では運行にかかる費用のみならず線路や駅施設、車両の維持にかかる費用も原則として乗客の運賃で負担する制度になっている)と比較するのだから理不尽だ。その結果、「交通砂漠」へと至り、「交通弱者」が生み出される。
このように、鉄道、バス、タクシーが潰れてゆく過程を活写している。繰り返すが、本書は日本の公共交通がまだ元気だった1960年台に書かれた本だ。著者の慧眼に恐れ入ると言うほかない。
それから50年あまり経って今の日本がどうなってしまったかは、『マイカー亡国論・再考』で解説されている通りだ。
しかも現代日本では政治が主導して「ガソリン値下げ」を推し進めている[7]。つまり彼らは懲りてもいなければ現実が見えてすらいない。マイカーなる魔性のものは人の感覚をこれほどまでに狂わせてしまうのだろう。
マイカー“必需品化”による浪費
マイカー“必需品化”により自動車市場は飽和し、寡占と値上がりが進む。
自動車産業の肥大化により、浪費が生み出される。「販売努力」と称して人々の潜在意識をとらえるような心理学的成果を駆使した誇大広告が展開される。ふつうの道路では出せもしないスピードを誇示するとか、ありそうもない風景に憩う一家のだんらん風景とか…あるいは、このクルマを使ったらあなたははじめて人間になれるんだとか、そういった広告で充満する。
自動車産業を支えるために鉱物等資源を浪費して製造されたクルマを、庶民は化石燃料を浪費しながら走らせる。
マイカーを「必要」だと思っている、もしくは思わせられている一般庶民以上に、産業界の利潤追求=企業拡大の至上命令にあやつられて、それが国民各層に普及されることを必要としているのである。(p132、一部文言は現代風に言い替えている)
本書では、当時世界最大の自動車メーカー、ゼネラルモータース(GM)の増長ぶりを伝えている。「GMにとってよいことは、アメリカにとってよいことだ!」―「たとえ、それが史上最悪のことだとしても」(p131)
このセリフもGMをトヨタに置き換えれば、まさに今の日本に当てはまりそうだ。長く続く円安による物価高で国民生活の疲弊が懸案となっている2026年、予算を審議する通常国会の冒頭で衆議院を解散して総選挙に突入した首相は臆面もなく円安誘導と捉えられる発言を繰り返して物議を醸した[8]。政治は物価高に困る国民の方を向いてはおらず、円安で空前の利益を挙げている自動車業界の方を向いている態度が浮き彫りとなった。
激化するマイカー災害
本誌の読者の皆さんはよくご存じだろう。釈迦に説法となるので各論は割愛するが、本書では、大気汚染と公害被害者の疎外、交通事故は自損と第三者被害、規制と責任のなすりつけ合い、さらにはレクリエーションと称して運転を強要されるバカらしさ、そして家族に「無賃の運転手稼業」を強要し、子どもたちは遊び場である住宅地の道を奪われる[9]…と、様々な指摘がされている。そのことごとくが見事に的中してしまったのは残念でならない。
脚注・出典
5. 吝嗇=ケチという意味。公共交通の運賃をケチってマイカーを使い、ガソリンを燃やして公害や事故を引き起こして…といった意味で使われているのだろう。
6. 限界費用=自動車のような設備は、所持するためにかかる費用はほぼ一定で、別途、使った分だけかかる費用がある。その使った分だけ追加でかかる費用を指す経済用語。
7. 本誌121号(2025年9月号)「『ガソリン値下げ』と自動車の社会的費用」を参照
8. 円安進み、一時155円台半ば 高市首相の発言「円安容認」との見方(朝日新聞、2026年2月2日)
外為特会「ほくほく」は本当か 高市首相発言、火消し追われる政府内(毎日新聞、2026年2月2日)
9. 具体例は『子どもが道草できるまちづくり 通学路の交通問題を考える』(仙田満+上岡直見編、学芸出版社、 2009年刊、ISBN 978-4-7615-2463-0)をご覧いただきたい。
