杉田正明
先日、富山市を訪れました。知り合いと富山の都市作りを見学するための訪問でした。
何人かの地元の人とお話しする機会がありました。その中で路面電車駅の近くで営業している和ろうそく店の奥さんから、当該のお店の敷地が昔は道路側にもっと広がっていたが道路の整備で大きく割譲したことを聞きました。
富山市は路面電車を軸にした都市整備を進めている都市で、いろいろ参考になる取り組みを進めていることは、先に会報59号で井坂さんと私が紹介しました。これまで私がうらやましく感じていたのは、富山市の既存市街地に広い道路が多いことでした。
問い直す会には路面電車を都市の基幹交通として導入していきたいと考えていられる方が多いと思います。私は、しかし、その最大の隘路として、日本では既存の道路幅が狭い場合が圧倒的に多いということがあると考えています。片側2車線の道路でないと、路面電車の軌道敷の確保が容易ではありませんが、今の日本の道路構造令は1日9,000~12,000台以上の交通量がないと4車線にしなさいとはなっていません。その結果、大半の道路は片側1車線以下になっています。 和ろうそく店の奥さんのお話を聞いて以降、富山市がどのようにして広い道路を確保してきたか、調べねばいけないと思い、インターネットの検索を繰り返しました。少しですが、次のことがわかりました。
①戦前に神通川の付け替え工事をし、それをまって富山駅を現在地に移設した。
②次いで駅南に位置する神通川廃川部分を中心に都心部の土地区画整理を行った。この際、街路事業として、7路線の都市計画道路を併せて新設した。
③1945年に大空襲に遭い、市街地の99.5%を消失した。④戦後、戦災復興土地区画整理事業を行った。復興街路計画では、富山駅を起点に放射状に5本、東西に4本の道路敷設計画が盛り込まれた。
和ろうそく店前の道路の拡幅がいつどのような事業として行われたかは、富山市に問い合わせないとわかりません。しかし、長い年月のなかで現在の富山市における広い道路の確保が行われてきたことは確かでしょう。
自分の住む町としてどのような構造の都市を求めるかは、いろいろな考えがあり得ると思います。私が求めるのは、路面電車を幹線交通にし、その沿線に中高層住宅と商店・学校・病院・役所などサービス施設を配置した都市です。
こうした都市に現在の我が町を改造するには、道路の拡幅が必要です。拡幅には多数に上る地権者の承諾を得るのに大変な労力と年月を要するでしょう。ですからほぼあきらめていたのが正直なところです。
しかしそれでよいのかと考えるきっかけを得たのが今回の富山旅行でした。都市作りは長い年月が懸かっても仕方がない、とにかく始めなければ永久に実現しない、自分の生きている間はとても無理でも、孫の時代には何とかなりそうとなるだけの手がかりを作らないといけない、と改めて思い始めました。
隣の中国は土地公有の社会です。道路の拡幅は日本に比べて遙かに制度上容易で、現に道路に限らず、工業団地・新都市・鉄道・再開発等をこの制度に依拠してどんどん開発してきました。そしてそれが中国高成長の2大要因の一つとなってきました。土地の価値は、土地所有者がその土地に投下した労働・資本・知恵の結果増える部分は都市においては小さく、周辺におけるインフラ整備や周辺への諸機能の立地によって決まります。従って土地を公有にし、その利用の仕方を社会的に決めていくことには合理性があります。公有にしなくても、適当に固定資産税率を設定することで帰属利益・開発利益を公的に吸い上げ、かつ所有権を公共の利益のための適切に制限する形でもよいのですが、日本の現在の制度はこれからほど遠いと思います。
従って、現状の土地所有制度と関連諸制度の下では道路の拡幅は気が遠くなる課題ですが、何かを考えねばいけないと悩んでいます。(尚、中国は地方政府が公有制を根拠に強引な地上げを続けていますが、地方政府が民主的な普通選挙によって形成されたものでないという点が大いなる難点の一つです。)