杉田正明
ご存じのように当会は、民主党に対して高速道路無料化反対の意見書を衆院選挙公示前に送りました。会報本号で清水さんがこの問題について別個論じていただいていますが、私も少しこれに関して述べたいと思います。
民主党は、馬淵議員のテレビでの発言などを聞くと、高速道路はそもそも無料であるべきだと言っているようです。海外に無料の例があることも言っています。高速道路も一般の道路も、道路は無料が本来の姿だと言っているようです。しかしそうでしょうか。
一般の道路が無料であるのはなぜでしょう。決定的な理由は、料金を取るには大変なコストが掛かるからです。道路利用者から料金を徴収するには、これまでの技術のもとでは無数の料金所をもうけて無数の徴収員を配置して対応しなければなりません。これからの技術のもとではより低コストで徴収できるかもしれませんが、少なくともこれまでは無理でした。
一般の道路が無料であるもうひとつの大きな理由は、私たちの移動・交通は生活の基本ニーズ・必需ニーズであり、それはすべての人々が平等に満たされるべきであり、道路サービスの提供はナショナルミニマムの提供として無償であるべきだと考えられてきたからだと思います。
高速道路は、一般の道路との接続を大きく制限することによって料金徴収所の数を大幅に減らし、料金徴収を可能にしています。利用者・受益者から確実に徴収でき、料金を払わないものの利用を排除できます。こういう場合は、「排除不可能性」を理由とした無料化はできません。
私たちはたとえば、水道および下水道について料金を払って利用しています。受益者が明確に特定でき、“ただ”での利用をほとんど排除できるこれらのサービスは、我が国では有料であることがほとんどであろうと思います。高速道路はこれらと同じ扱いでよいのではないでしょうか。
ただし、水道や下水道を“ただ”にしている国や地方政府が世界にはあるかもしれません。水道や下水道のサービスは生活の基本ニーズ・必需ニーズであり、それはすべての人々が平等に満たされるべきナショナルミニマムとして無料にしている国や地方政府があるかもしれません。
民主党は高速道路サービスをそうしたものと考えて無料を主張しているのかもしれません。しかしもしそうならば、ほかにも無料にすべきものが続々と出てくる可能性があります。たとえば水道や下水道はそうでしょう。
ナショナルミニマムとして、あるいはシビルミニマムとして無料で供給されるべきもの、無料でなくとも政府の関与のもとで税の大幅な投入のもとで供給されるべきものはどういうものであるべきでしょうか。
これについての明快な基準が確立しているのかいないのか、私にはよくわかりません。経済学関係では多分標準的な見解は確立していないのではないか、法律学・政治学の関係ではどうでしょう、判例の蓄積から何か整理されているでしょうか、私は知りません。
庶民の常識論としてナショナルミニマムとして扱うべきは、生活にとって必需性の高いサービスであろうと思います。どこまでそれに含めるかは、その時々の当該社会の財政状況・政治状況などから、当該社会の成員が何らかのやり方で決めていくものであろうと思います。
医療、基礎教育、身障者福祉、失業者救済、生活困窮者保護、等の保障については何らかの形で合意が得られている国が少なくないでしょう。介護、子育て、老後の生活保障(年金)などについても合意が進展しつつあると言えるでしょう。
高速道路は必需性が高いでしょうか。私は上に列挙したものに比べてNOと判断します。高速道路は、観光目的、帰省目的、業務目的での利用が大半を占めると思います。これらが生活の基礎的で必需的なニーズを反映しているかと言えばNOと判断します。
私たちの移動・交通のうちでも通勤、通学、買い物、病院通いなどは生活の基本ニーズ・必需ニーズです。この観点からは高速道路ではなく、これらの目的に使う一般道路と公共交通サービスが無料化の対象(候補)となるべきです。
民主党の高速道路無料化論が、「道路は無料が本来の姿だ」と言う考え方のもとに立脚しているとすれば、これまで述べてきたことから明らかなように、それは全く間違いだと私は判断します。
結局、民主党の高速道路無料化論は、別の論拠によらざるを得ないものになっていると思います。現に2009年3月25日に民主党が出した「民主党高速道路政策大綱」は無料化の目的・効果として次の4つを挙げています。
1)生活コスト・企業活動コストの引き下げ、2)地域活性化、3)温暖化対策、4)「ムダづかい」の根絶、です。
このレベルでの議論については、既にいくつか参考になるレポート・論評がでており、当会としても改めて個別に吟味・論評すべきとは思いますが、ここでは論じません。
(2010年1月発行 会報第58号)