社会を劇的に変えたクルマとスマホとのアブナイ関係

小林和彦

私は親族関連の所用で自宅のある山形市と米沢市をJRローカル線を利用して往復することが多い。そこで目にするのは高校生などの多くの若者たちが楽しく会話することよりも俯いた姿勢でスマホの画面を見つめている姿である。それゆえ私は彼らを「うつむき族」と呼んでいる。

同じような光景は日曜日などの休日の公園で多く見かける。彼らはあるゲーム関連情報に動かされて公園に参集しているのだ。その光景を見た中年女性たちが「怖っ!」と叫んでいた。
(※公園内でスマホに釘付けの若者たちの光景は写真参照)

「うつむき族」公園でうつむいてスマホに釘付けの若者たちの写真です。

しかし、公園内ならともかく、人通りの多い繁華街でも歩きスマホどころか、自転車に乗りながらの「ながらスマホ」も多数見受けられ、特に後者に関しては道路交通法の改正により罰則が付加されるようである。つまりはクルマの運転座席での「ながらスマホ」もかなりありうるということであるが、せめて停車中だけにして欲しいものだ。

また、ある集会所で20人~30人が集まる会議の休憩時間に若者に限らず参加者達の多くがスマホを使用していたが、タバコの煙は減少したものの、目に見えない電磁波が使用者の数だけ行き交い充満しているわけで、健康への影響がないものか多少気になったものである。
なお、私は視力を護る理由でスマホを所持も使用もしない。家族・友人との連絡はガラケー(最低限機能のみの旧型携帯電話機に対する差別用語?)で、そして情報収集はパソコンで充分である。

さて、本論に入らせていただく。ニッポンの戦後の産業を大きく牽引してきたのがモノづくりを代表する工業であり、その典型がクルマ関連産業であり続けて来たが、今やパソコンやスマホなど関連の「情報通信産業」にとって代わられて来ているようである。
特にスマホの普及は驚異的な速さで、恐らくここ10年~20年のことであろう。日本国内でのクルマの多くは国産であるが、スマホなどの情報通信機器の多くはビッグテック(巨大IT企業)と言われるGAFA+M等の米国拠点や中国、韓国等アジア諸国拠点のグローバル企業が大きく係わっており、アジア諸国の経済急成長も情報通信産業が牽引してきたとも言えそうで、日本企業の存在はこの分野では急速に影が薄れてきたようである。

クルマは日本でもむろん戦前から走行していたが、戦前や戦後しばらくの場合は、その数は決して多くはなく、所有者も官公庁や大きな企業、個人でもかなりの富裕層に限られ、富裕者宅のクルマの運転は専らお抱えの運転手であり、主人が自ら運転することは少なく、後部座席に座っていた。
しかし、戦後しばらくしてからはクルマの大衆化が進み、所有者が自ら運転するマイカー時代となった。それにより他者や本人が死傷する事故が多くなるばかりでなく、騒音、排気ガスによる大気汚染などの公害の多くがクルマによってもたらされるようになった。

これらのクルマ起因の事故の激増、公害の深刻化は一般国民の自家用車所有と使用、運転免許証の取得ばかりでなく、公務所や企業の業務用車両(トラック等の貨物車両も含まれる)が増えたことにもよる。ともかくも、マイカー、貨物車両等のいずれにせよ、所有も免許取得も成人に限られてきた。

これに対してクルマ社会の到来以上に所有者数と使用者数が激増したのはスマホ、即ちスマートフォンの急激な普及によるものと言える。いかにクルマ社会が進展して、“一家に一台”とまで叫ばれたとは言え、実際は必ずしも全ての家庭がクルマを所有しているわけではなく、とりわけ大都市圏のように自家用の駐車場の確保も困難で、公共交通網が発達している場合はマイカー無しでの外出も容易であり、その傾向は現在でもそう変わりがない。その上、クルマを所有している家庭でも多くは文字通り“一家に一台”のみであり、複数台のマイカーを抱える家庭は都市部では稀である。但し、郊外の農山村部では駐車スペースの確保は容易で、複数の成人からなる“大家族”では農業用貨物車を含む複数台のクルマの所有は珍しくない。それでも一般的には、とりわけ都市部では“一家に一台”であり、複数台を所有する家庭は例外的というべきである。