これまでの世界中の犠牲者に黙禱
北海道交通事故被害者の会主催の標記フォーラムは、11月16日(土)、札幌市の「かでる2・7」を会場に、80人が集い、交通死傷ゼロへの誓いを新たにしました。
最初に昨年道内で交通死された131人(1/1~11/12)をはじめ、これまでの世界中の犠牲者に黙禱を捧げました。
次に、代表の前田から、本フォーラムが、東京・芝公園での「日本フォーラム」主催のキャンドル集会や秋田県警が継続している「黄色の風車」運動、「TAV交通死被害者の会」や「クルマ社会を問い直す会」の街頭活動など、全国のとりくみと連帯して行われていること、および11月5日に、今回も提案している「交通死傷ゼロへの提言」を基に、「第11次交通安全基本計画(2021~)」策定に向けての意見提言を行ったことなど、報告も兼ねた主催者挨拶を行いました。
被害者の訴えにすすり泣き
第1部「ゼロへの願い~こんな悲しみ苦しみは私たちで終わりにしてください~」では、道南、北斗市の福澤きよ子さんが、「二つの命、この25年伝え続けていること」と題し被害ゼロを訴えました。
当時小学6年生の双子姉妹のお子様を、通学途中に歩道に乗り上げた暴走トラックによって奪われた悲しみと無念を切々と語る言葉に、参加者はすすり泣きながら、クルマが日常的に「凶器」ともなっている現状を変えなければ、という決意を新たにしました。
続いて青野渉弁護士から、旭川市の中島朱希さん被害事件(「問い直す会」会報98号などで報告)について、ご家族の手記「飲酒暴走の危険運転に命を奪われた妻の無念を忘れない」を紹介しながら、訴因変更を求めた取り組みと、このほど確定した最高裁決定(2019年8月29日)の意義が報告されました。
特別講演は被害者学の諸澤英道氏
第2部「ゼロへの提言」は、諸澤英道氏の特別講演。世界的視野から、日本における被害者問題の現状と課題が教示され、被害者のための刑事司法を確立すること、被害者理解を深めることなどが交通犯罪防止にもつながることなどが強調されました。(後掲)
講演後は、道内外から参加の支援・研究者の方を含めた会場発言による交流討議が行われ、道北の留萌管内遠別町の交通安全に取り組む住民課からは、本フォーラムに交通指導員の方など11人で参加されているというご発言があり、参加者と主催者を大きく励ましてくれました。
第2部のまとめは、コーディネーターを務めた内藤副代表(弁護士)が、諸澤先生の講演から学んだ感想と前置きして「『刑事司法は被害者のためにもある』を具現化するため、被害者参加制度など公正な刑事司法を目指すべきこと、メディアの理解をさらに得ていく必要があること、被害者に必要な支えは、どこに住んでいても受けられるべきである」とまとめられました。
第3部「ゼロへの誓い」
第3部「ゼロへの誓い」では、道(道民生活課)と道警(交通部)から、討議を踏まえた力強いご挨拶を受け、最後に、「交通死傷ゼロへの提言」を確認して、約3時間のフォーラムを閉じました。
以下に、特別講演の交通犯罪に関する要旨抜粋、感想アンケート、「交通死傷ゼロへの提言」を紹介します。
なお、特別講演の演題の中の「基本法」とは「犯罪被害者等基本法」を指します。また、講演要旨の中の(注)は前田が加えました。
「交通犯罪における被害者の尊厳と権利~基本法制定から15年の課題~」諸澤 英道氏
常磐大学学長(1991~02)、日本被害者学会理事(1990~16)、世界被害者学会理事(2006~)、「被害者が創る条例研究会」監事(2014~)、著書に、「被害者学」・「被害者のための正義」(成文堂)、「被害者支援を創る」(岩波ブックレット)など
はじめに
「世界道路交通被害者の日」は14年前の2005年に国連が定めた日ですが、私はその翌年、東京での交通被害者が集うシンポジウムで、「この国連決議に呼応した日本の動きが是非欲しい」とお話したことを覚えています。
12年前にもお招き頂きましたが、北海道の皆さんがこのワールドディに非常に良い企画をするようになって10年以上経つということで、改めて、この熱気が各地の取り組みとつながり、もっともっと大きなパワーにしなければならないと感じています。
(中略)
交通犯罪は「結果責任」で裁くべき
12年前の前回講演の時に、貴会の会名にどうして「事故」という言葉を使うのかという問題提起をしましたが、名称はともかく、クルマの運転をして人を傷つけたというのは「事件」であり「犯罪」です。
クルマが普及しモータリゼーションが叫ばれた1960年代、当時の日本の刑法学者は、「クルマの運転は危険だ、しかし禁止したら社会が成り立たない」として、「許された危険」という日本特有の概念を作り出しました。身近なところに危険があることを受け入れて今の生活があるとしたのです。更に、ドイツに倣って、加害者の処罰を制限する「信頼の原則」(注1)まで確立したのです。そういう法学教育を受けた人が裁判所など法曹界だけでなく、交通関係でも幅をきかせているのです。
これを変えていかなくてはなりません。外国では、危険を知っていて、敢えて運転して人を傷つけているのに「許される」という言葉を使うこと自体おかしいとされ、国際会議でも1990年代に、Traffic Acciden(t 偶然)ではなく、TrafficCrash(衝突)という言葉が使われるようになりました。
刑法の理論では、交通犯罪の加害者は「行為責任」(責任能力がある場合に責任を問う)なのか、「結果責任」(無過失以外は責任を問う)なのかということですが、私は、日本でも、人を傷つけた以上は、どんな事情があっても責任をとらなければならないという「結果責任」の理論に戻さなくてはならないと思っています。
クルマがこれだけ危険で被害を与えていることを知らない人はいないのに、刑が軽く済まされている(実刑を受けない場合もある)という日本の現状は変えなくてはなりません。
(注1)信頼の原則:
「交通事故に関して発展してきた刑事“過失” 責任を限定する理論。自動車の運転手が、被害者ないし第三者が適当な行動をとると信頼するのが相当といえる場合には、それらの者が予測に反する行動に出たため死傷の結果を生じたとしても、過失責任を問われないとする理論」
(「法律学小辞典第4版 有斐閣」より)
「公共の利益」は世論であり、世論が制度を変える
この日本の現状を変えるために必要なのは、世論なのです。先ほどの青野弁護士の(旭川・中島朱希さん被害事件)報告にあったように、被害者等が声を上げることによって世論が出来ます。公共の利益というのは、何か得体のしれない漠然としたものではなく、国家の利益でもなく、人々の利益なのです。人々の利益は読み替えると人々の意識(=世論)です。
つまり、「(このように)酒を飲んで運転し、人を死なせてしまった場合は、厳罰にせよ」というのは世論であり公共の利益なのです。
そして日本の社会は、戦後の就学率向上もあり、多くの国民は良識があり理屈が通りますから、制度を変えるために、世論をもっと大事にする必要があると思います。
私は過去10数年「あすの会」(注2)などと一緒にいくつかの法改正に係わってきました。被害者を護るための立法を各政党に訴えると、議員立法の場合など、最後は必ず全会一致で通っています。つまり、話題になっている法案に反対したら、これはもう選挙で票を取れないというぐらい,日本の社会全体のムードがありました。これは大事にしなければなりません。
交通事件で沢山の人が悲しい思いをしています。コンセンサスを作って進めて行けると思いますので、遅れてしまった日本を何とか取り戻していかなくてはならないと思います。
(注2)「あすの会」:
「全国犯罪被害者の会」の略称。2000年1月に発足。初代の代表幹事を務めた岡村勲氏(弁護士、奥様が殺人被害)などの尽力で、犯罪被害者等基本法の制定(2004年)や、刑事裁判への被害者参加制度(2007)、殺人罪の公訴時効撤廃(2010)など犯罪被害者の権利擁護に寄与した。2018年6月に初期の目標を達したとして解散。
(中略)
犯罪のない社会のための司法制度
私は、1955年から始まった国連犯罪防止会議に度々出席し、犯罪のない社会にしようという議論に参加してきました。この会議では、50年間、犯罪者を刑務所の中で教育することによって再犯させないようにすることを議論してきましたが、これは失敗でした。2005年、タイで開かれた国連犯罪防止会議で結論を出し、会議の名称もそれまでの「犯罪防止及び犯罪者の処遇に関わる国連会議」から「犯罪防止及び刑事司法に関する国連会議」に変えました。つまり司法制度を変えることによって、治安を保つということです。
世の中の意識を変えること
いわゆる「1990年代の犯罪」と言われるDVや虐待、いじめ、ハラスメント、ストーキングなど反復性のある新しい形の犯罪について、20世紀までは規制することに否定的でしたが、被害者を作らない安全な社会へと、軸足が変わり、周辺にあってこれまで手が付けられなかった問題を国連が取り上げて法律を作るようになり、日本でもハラスメント防止法など出来ました。
このように世の中の意識を変えることが大切です。
被害者理解の深化を学校で、社会で
世の中の意識を変え,世論を作るために、学校教育の中でも、被害者の側の事を考えるように習慣づけて、思考回路を変えることが必要です。
多くの人は、「やられた人はどうなのか」という、被害者のことを考える思考回路ができると(犯罪行為を)やらなくなります。
そして社会教育でも、住民に対して機会あるごとに啓発し、皆が被害者のことを考える社会になってくると、罪を犯さない人をつくることになります。これは国連会議の中でも、合意されており、時間を要しますが確実な方法です。
おわりに
基本法から15年の今、仕切り直しをして、人々の意識を変えていくべきと思います。
交通犯罪に対する意識や考え方を変えることは、その大事な一角であると思います。
《参加者の感想アンケートより》
- ★福澤さんのお話を聞くことができて良かったです。交通犯罪の悲惨さを周りにも伝えて行こうと思います。ありがとうございました。
- ★直接被害者の声が聴けて良かった。車を運転する者として、改めて、一つまちがえば車が凶器に変わってしまうことを実感した。
- ★諸澤先生の言われた事、何十年も前に被害に遭った当事者の私がず~と思い続けていた事で、やっと被害者の立場に目を向けてくれるようになってきたのかと、少しの光が差し込みました。被害者自身は、当初は何もできないのです。
- ★交通犯罪被害に対する国民の意識を変えていくことが被害根絶につながる。
- ★被害者を護ることの大切さが良くわかりました。犯罪者(特に交通犯罪)に対する量刑の重さという、大切な問題解決が早まればよいと思いました。
- ★自分も認識を改め、社会に働きかける力になりたい。
- ★とても心に響きました。この広い日本中で、もっとも組織的に、もっとも持続的に、またもっとも意義ある(実効性ある)活動をされてきた貴会の歩みに深く敬意をもってお礼を申し上げます。この会によって自らの認識を改め、学び、社会に働きかける力のひとつになりたいと思います。
交通死傷ゼロへの提言
交通死傷ゼロへの提言
2019年11月16日
ワールドディ 北海道フォーラム
近代産業社会がモータリゼーションとともに進行する中で、人々の行動範囲は飛躍的に拡がり、欲しいものがより早く手に入る時代となりました。しかし、この利便性を享受する影で、「豊かさ」の代名詞であるクルマがもたらす死傷被害は深刻で、命の重さと真の豊かさとは何かという問いが突きつけられています。
わが国において2017年に生命・身体に被害を受けた被害者数は61万2034人ですが、このうち何と95.5%(58万4544人)は道路交通の死傷(死亡者数は5,004人※厚生統計)です。
この「日常化された大虐殺」ともいうべき深刻な事態に、被害者・遺族は「こんな悲しみ苦しみは、私たちで終わりにして欲しい」と必死の訴えを続けています。人間が作り出した本来「道具」であるべきクルマが、結果として「凶器」のように使われている異常性は即刻改められなければなりません。このような背景から、国連は11月の第3日曜日を「World Day of Remembrancefor Road Traffic Victims(世界道路交通被害者の日)」と定め警鐘を鳴らしています。
「交通死傷ゼロへの提言」をテーマに本年も集った私たちは、未だ続く「事故という名の殺傷」を根絶し、「日常化された大虐殺」という言葉を過去のものとするために、以下の諸点を中心に、わが国の交通安全施策の根本的転換を求めます。
第1 交通死傷被害ゼロを明記した目標計画とすること
憲法が第13条で定めているように、人命の尊重は第一義の課題です。平成28年3月策定の「第10次交通安全基本計画」の基本理念には「究極的には交通事故のない社会を目指すべきである」とされていますが、「究極的には」でなく、中期目標としてゼロの実現を明記し、政策の基本に据えるべきです。
減らせば良いではなく、根絶するにはどうするかという観点から、刑法や道路交通法など法制度、道路のつくり、対歩行者を重視した車両の安全性確立、運転免許制度、交通教育など関係施策の抜本的改善を求めます。自動車運転処罰法も、人の死傷という結果の重大性に見合う内容へとさらなる改正が必要です。
私たちのこの主張は、単なる理想論ではありません。現に、スウェーデンでは、交通による死亡もしくは重症の外傷を負うことを根絶するという国家目標を「ヴィジョン・ゼロ」という名のもとに国会決議として採択しています(1997年)。そして、この目標を達成するための方法論と、その科学的根拠を示しています。
第2 クルマの抜本的速度抑制と規制を基本とすること
これまでの長い苦難の歴史から私たちが学んだ教訓は、利便性、効率性、そしてスピードという価値を優先して追求してきた「高速文明」への幻想が人々の理性を麻痺させ、真の豊かさとは相容れない危険な社会を形成してきたということです。安全と速度の逆相関関係は明白です。命の尊厳のために、施策の基本に速度の抜本的抑制を据えるべきです。
不確かな「自動運転車」に幻想を与えるのではなく、今あるクルマの速度規制が急務です。クルマが決して危険速度で走行することがないように、クルマ自体に、段階ごとに設定された規制速度を超えられない制御装置(段階別速度リミッター)や、ドライブレコーダー装着を義務化し、速度と安全操作の管理を徹底すべきです。
さらに、道路ごとの制限速度に応じて自動で速度抑制を行う技術(ISA : Intelligent SpeedAdaptation 高度速度制御システム)の実用化や、衝突被害軽減ブレーキなど「高度安全運転支援車」の普及による二重三重の安全施策を早急に実施すべきです。
第3 生活道路における歩行者優先と交通静穏化を徹底すること
子どもや高齢者の安全を守りきることは社会の責務です。人口当たりの歩行者の被害死が諸外国との比較において極めて高いのが現状であり、歩行者を守るためにまず取り組むべき課題は、生活道路における歩行者優先と交通静穏化(クルマの速度抑制)です。
道路や通りは住民らの交流機能を併せ持つ生活空間であり、決してクルマだけのものではありません。子どもや高齢者が歩き自転車が通行する中を、ハードなクルマが危険速度で疾駆し、横断歩道での歩行者優先(道交法38条)が守られていないなどの現状は、その根本から変えなくてはなりません。幹線道路以外のすべての生活道路は、通行の優先権を完全に歩行者に与え、信号のある全ての交差点を歩車分離信号に変え、クルマの速度は少なくても30キロ以下に一律規制(「ゾーン30」など)し、さらに必要に応じて道路のつくりに工夫を加えて、クルマの低速走行を実現しなくてはなりません。この考え方が欧州の常識であり、ドイツやオランダ、イギリスなどにおいて完全に実施されている都市もあります。
このような交通静穏化は歩行者優先の理念の「学び直し」の第一歩であり、ひいては幹線道路の交差点における死傷被害の抑止に結びつくはずです。
同時に、財源措置を伴う公共交通機関の整備を進め、自転車の更なる活用と安全な走行帯確保を緊急課題と位置づけるなら、道路の交流機能は回復し、コンパクトな街並みは活気を取り戻すでしょう。交通死傷被害ゼロのために、現行の交通システムを安全なものに改善することは、住民の生活の質をも豊かにし、すべての市民の基本的人権の保障につながるのです。
※フォーラムの詳細は、北海道交通事故被害者の会の会報61号に特集しています。次のサイトからご覧下さい。「北海道交通事故被害者の会」(http://hk-higaisha.a.la9.jp/)
(会報『クルマ社会を問い直す』 第99号(2020年3月))