クルマ社会の諸相

交通安全教育―交通教育の意義と課題

投稿日:2011年2月23日 更新日:

■交通安全教育―交通教育の意義と課題■
前田敏章

交通安全教育―交通教育の意義と課題(PDFファイル)

 現在学校教育の場で多く行われている「交通安全教育」には大きな問題がある。児童生徒の安全を守り、クルマ優先社会からの転換をめざすためには、狭く歪められた「交通安全教育」から脱し、あるべき「交通教育」の理念と課題を明らかにする必要がある。

1.現行の「交通安全教育」は、クルマ優先社会を支え、被害の責任を子どもに転嫁する

 現行の交通安全教育の大きな問題点は、本来子どもの安全を守り抜くのは社会の責任であるのに、交通死傷被害の責任を児童生徒に転嫁し、クルマの危険な使われ方や交通環境改善という課題を後景に追いやる役割を果たしていることである。子どもに非が無く被害にあった場合でも、さらに「車に気を付けて」と無理な注意喚起を繰り返す典型事例が2007年札幌市でもみられた。小学2年生3人が下校中横断歩道上で信号無視のトラックにはねられ重傷(1人は重体)を負ったのだが、当該小学校の校長は事故後の全校集会で児童に「信号が青になっても、運転手の目を見てから、横断歩道を渡りましょう」と呼びかけた(「北海道新聞」2007年5月17日)というのである。
 さらに、クルマ社会の負の側面と向き合わず対症療法的な技能教育に偏る現行の交通安全教育は、学校教育に早期の運転者教育導入を求めるなど、国民皆免許体制を前提とするクルマ依存社会を拡大再生産する役割を果たしている。

【コラム1】:「交通安全教育」の問題点①
~知覚や認識の能力「発達」を期待する根拠なき楽観論~

学校教育での交通安全教育は、政府が1971年以来5年ごとに策定している「交通安全基本計画」(以下「計画」)の影響を強く受けている。「計画」は「安全意識の徹底」「安全思想の高揚」など精神面のみを強調。どれだけ多くの子どもが犠牲になっても、根拠のない「子どもの注意力の発達」を期待し、「交通安全教育」を生涯教育に位置づけ徹底すれば被害は防ぐことが出来ると、クルマ社会の未来をバラ色に描く。
 例えば、「計画」を具体化した国会公安委員会作成の交通安全教育指針(1998年)では、幼児に対して、「交通マナーを実践する態度を習得させる」ために、「自動車等の基本的な特性及び合図を習得する」として、「制動距離」や「死 角」、「 内輪差」に ついて「理 解させましょう」とあり、児童期についても同様で、 距離の知覚が未発達であるのに「自動車等の速度が速い場合などに制動距離が長くなる理由を具体的に説明し」などとある。このように、生理的な発達 段階 からみて無理なことを理解・習得させよ うとするために、被害にあったときの責任は、車を操作した運転者や交通環境整備を怠った社会ではなく、安全な行動を「 習得」または「指導」できなかった子どもや保護者に向けられる。
 こうした、現行の交通安全教育は(財)国際交通安全学会(1974年、本田技研工業株式会社などによる基金をもとに設立)の研究者の潮流である「交通心理学」の影響を大きく受けている。交通心理学の立場からは「人間の側の質的向上」によって安全な行動が可能であるとするが、人間の知覚や認知能力の発達進化が年齢を超えて実現する筈もなく、これは根拠のない楽観論と言える。
 交通安全教育の効果を 過大に 評価 することがクルマによる死傷被害の原因究 明と対策を遅らせる。スウェーデンの児童心理学者スティナ・サンデルスは1968年に、子どもの認知能力の発達の面から「子どもを完全に交通環境に適応させることは不可能である」として「子どもが交通事故に遭わずにすむ道路環境を作るしか道はない」と結論づけていた。

【コラム2】:「交通安全教育」の問題②
~「安全教育」=「免許取得を前提とした運転者教育」に短絡~

 クルマ依存社会の維持に不可欠なのが、国民皆免許体制である。「計画」は「交通社会における良き社会人として」などと、学校教育の中で児童・生徒を「クルマ社会」へ適応させることを重視し、免許取得を前提とした「教育」導入を策している。
 「計画」の「高校生に対する交通安全教育の推進」の 項では、1991年の5次「計画」で「実技を含む安全指導」を打ち出し、2001年の7次「計画」で「免許取得前の教育」と位置づけ、さらに現行8次「計画」(2006~2010年)では、自動車も加えて「免許取得前の教育としての性格を重視した交通安全教育を行う。特に二輪車・自動車の安全に関する指導については、・・・、実技指導等を含む実践的な交通安全教育の充実を図る。」と拡大の一途である。これを受けて、自動車会社等も、例えば「高等学校の教育現場で学校が独自に免許取得前教育を実施できることを目的に作成した交通安全教育プログラム『セーフティアクション21』の普及促進を図った」((財)日本 自動 車工業 会 平 成21年度 事業報告 )などと具体化を図っている。

2.新しい交通教育の創造を

 これまでの「交通安全教育」に代わる新しい「交通教育」~生命尊重を基本視点として、交通に おける安全・環境 ・エネ ルギー の諸問題を 総合的に 捉え、人 間性 がより発 展する 豊かな社会について主体的に学ぶ交通教育~を提案する。
 現代のクルマ社会の病理は根深い。今日のモータリゼーションは、市場 メカニズムによる需給均衡と経済効率を唯一「善」とする市場原理主義に支えられており、公 共交通体系を衰退させ、郊外 型ショ ッピングセンターの乱立 に典型的なスプロール化( 土地利用無秩序化)や それに よる都市の 空洞 化と コミュニティ(共同 体) 破壊 をひき起こし、それがまた過度の自動車依存へと悪循環しているからである。
 モータリゼーション社会 自体を問い直し、 今後の社会政策や制度の改善に寄与 する教育が学校教育に求められる。言い換えると、生徒一人ひとりが能動的に、交通手段との向き合い方や、交通を発生させている社会経済的要因などを考えることを通して、生命・環境・エネルギー に負 荷をかけない交通体系や地域コミュニティ再生という合意形成に 寄与 する教育である。子ども・青年を客体として扱うのではなく、主体的に考えられる市民の形成を目指すから、その教育手法は知識伝達型や 啓蒙主義的な 押しつけ的なものであってはならない。
 多様な学習プランがあるべきだが、テーマ例を試案として示す。

  1. 「交通犯罪被害の実相」、「 世界は今も交通戦争」:現在のクルマ社会がもたらす最大の課題である死傷被害について被害者の視点を重視し学ぶ。体 験講話や手記、ビデオなど活用。世界的な課題であることも統計資料から明らかにする。
  2. 「クルマの科学」:クルマの強大な衝撃力や制動距離などクルマの危険性を科学的に学ぶ。運転者及び子どもお年よりなど歩行者の知覚、判断、 動作能力など人間の生理的な特性と限界を学ぶ。
  3. 「若者とクルマ社会~作られたクルマ願望」:青年期の心理と、現 代の消費資本主義社会における幻想としてのクルマ願望。加害者となった青年の例。
  4. 「大気汚染など環境問題とクルマ社会」「エネルギー問題とクルマ社会」:大気汚染など環境破壊と健康の問題やエネルギー問題を具他的に学ぶ。
  5. 「交通社会の歴史と交通権」「 地域コミュニティづくりとクルマ社会」「ローカル線廃止と通学問題」:新しい権利としての「交通権」(安全・環境・福祉などの諸問題に配慮した交通の権利)について学び、安全な生活と地域コミュニティづくりなど、真に人間性が発揮される社会への展望と課題を考えさせる。ヨーロッパで拡がる「ボンエルフ」など歩行者優先のまちづり、クルマの総需要抑制、公 共交通機関の整備、自転車利用の拡大、児童生徒の通学問題など人や地域のくらし方を考え、免許を持たない生活スタイルの選択もあることなど、クルマとの関わりを主体的に考えさせる。
交通教育、これまでとこれから
これまでの交通(安全)教育 これからの交通教育
クルマ社会の認識 ・クルマによる高 速文明がもたらした大量生産、大 量消費は、多数の国民を豊かにするから優先事項とすべき。
・交通事故被害は、便益 を得ているクルマの「社会的費用」と 容認。
・道路建設とクルマ増大との悪循環により、深刻なクルマと道路による「 犯罪」が 頻発。 最大のものは「静かなる大虐殺」ともいうべき交通死傷被害であり、開発と大量消費による自然破壊と環境・エネルギー問題、および自動車対応型都市開発による都市の空洞化、コミュニティ(共同体)破壊など、人 命軽視・人権無視の「クルマ優先社会」の弊害は根深い。
交通教育 ・「交通心理学」を理論的背景として、国民皆免許を前提とするモータリゼーション推進を支える交通教育。「良き交通社会人」としてクルマ社会への順応を進め、 知覚・認識の訓練 で事故は減らせると、精神論と技能教育に偏る。
・交通安全教育を「体系化」し、早期の運転者教育導入を学校教育に求める。
・深刻な現状をITSなど技術の進歩に より解決できると幻想をふりまく。
・クルマ優先のスピード社会を問い直し、人命尊重、社会正義と人権を重視。自動車交通における安全・環境・エネルギー の諸問題を総合的に捉え、人間性がより発展される豊かな社会をめざす交通教育。
・子どもやお年寄り、および運転する人間の生理的な限界、および環境・エネルギー問題からも、速度の抑制制御、歩行者優先の生活道路、公共交通機関整備など、交通環境の改善が急務であることを学ぶ。
・モータリゼーション依存社会に与せず、免許を持たないライフスタイルも選択肢として考えさせる教育。

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