クルマ社会の諸相

土地区画整理事業と子どもの遊び場環境―公園づくりが奪う子どもの遊び場

投稿日:2011年2月28日 更新日:

■土地区画整理事業と子どもの遊び場環境―公園づくりが奪う子どもの遊び場■
菊池和美

土地区画整理事業と子どもの遊び場環境―公園づくりが奪う子どもの遊び場(PDFファイル)

1.土地区画整理事業とは

 日本ではまちづくりの手法として土地区画整理がいたるところで行われている。私の住む稲城市でも17か所での土地区画整理が計画、実施されている。土地区画整理事業は都市計画内の土地について公共施設の整備改善及び宅地の利用の増進を図るため行われる事業である。稲城市では線路の高架事業、未利用山林の宅地開発事業、駅前周辺整備事業、道路の拡張整備事業など、様々な目的のために区画整理事業手法が利用されている。

資料:稲城市ホームページより

 土地区画整理は地権者が法人をつくって事業する組合施工や地方公共団体が行う公共区画整理事業などがあるが、どれも基本的に減歩と称する地権者から集めた土地を事業費や公共用地に充てることは同じである。
 地権者が持っていた土地の面積と提供する土地の割合を減歩率と言い、3割とか6割とかさまざまだが、従前と従後の土地の価値が同じくなることを建前とする事業である。
 区画整理しない宅地利用が困難な従前の土地は評価が安いが、区画整理後の宅地化のための準備をした土地は高い評価となるとして、たとえ減歩を出して所有する土地が減少しても、土地評価が上がったのだから資産価値は減じないという考えで事業が進められる。

2.公園面積の単純な比較の危険性(公園面積比、昔の道路写真)

 さて、日本の一人当たりの公園面積は少ないと言われ続けてきた。東京都都市整備局によると、海外主要都市と東京都の比較では、一人当たり公園面積はニューヨーク29.3㎡、ロンドン26.9㎡、パリ11.8㎡等と比較すると東京は5.5㎡と格段に低くなっている(都市公園・緑地の整備方針・東京都平成18年)。そのため、日本では公園面積の拡大目指して区画整理事業などにまい進してきた。東京都では平成16年現在都市計画決定された公園・緑地面積は10600ヘクタールであるが、資金の点などで約6割が未供用のままとなっている。もしこれが全部供用されれば一人当たりの面積は10.6㎡となる。平成19年、島しょを除いた東京都多摩地域で最も公園面積率が大きいのは、稲城市の15.8%、次いで多摩市13.9%である。確かに稲城市ではニュータウン事業やそれにならう区画整理事業の推進により公園面積が拡大した。
 しかし私は公園面積の拡大にも関わらず子供たちが遊ぶ姿が地域から減ったと感じる。果たして欧米と日本の公園面積を単純に比較することが本当に子どもたちの環境改善の一番有効な手立てだろうか?欧米では公共の公園緑地が広く用意され、利用されてきたのに対し、日本ではこれまで公共公園緑地の概念が乏しかった。その原因は何故かというと、欧米と日本の都市の成り立ちが違うことによる。欧米では急な工業化によって都市環境が急激に悪化したため、都市の整備に力を注いだことや、都市と農村の区切りがはっきりしていたために公共空間の確保が急務だったと言われている。
 一方、日本ではよく言われることだが、江戸の町は農村との徹底的な物資の循環で理想的な都市、美しい都市を形成していたといわれる。人糞の農地への再利用を初め、里山林の燃料利用など都市環境は清潔に保たれ、まちと農村が城壁で区切られることはなく有機的につながっていた。道路は狭く、人々の生活に利用されていた。この町のあり方は昭和30年代までは続いていたと思う。私 自身が子供の頃には住宅周辺にはたくさんの里山や原っぱ、空き地があり、遊びに苦労はしなかった。家の前の道路は土で、ビー玉遊び、ボール投げ、ベーゴマ、何でもできた遊び場だった。 近所の子供たちが群れを成して放課後に遅くまで遊んだ子どもは家の周辺の道路を主に遊び場としていたため、公園がなくても困りはしなかった。本当に公園面積だけが子どもの遊び場環境の指標なのだろうか?もし昔のような遊び環境が作れるのなら、そのほうが子どもたちにとってずっと幸せではないだろうか?

3.都市の過密化、空き地の減少と車社会の到来

 しかし戦後産業構造が一変し1960年代以降日本は工業化の道を進み始めた。そのため都市への人口集中が始まり、都市では住居の過密化、宅地の不足が問題となり、丘陵地では住宅開発がすすめられた。一方地方では都市への人口流出が進み、農業が衰退し、過疎化が進んだ。その 結果都市では土地が暴騰し、ど んな小さな土地も利用が進み、子どもたちが遊ぶ空き地がなくなった。また、この傾向に拍車をかけたのは今一番のテーマとなっている車社会の到来だ。
 車の増加が進展し、人と人の交流の場であり子どもたちの遊び場だった道路は車の通り道となり危険なものとなってしまった。
 そして今、子どもたちは家から出られず、人と人の接点も奪われ、地域のコミュニティがこわされたことが大きな社会問題となっている。
 子どもが遊ばなくなった原因は、こうした環境だけが問題ではないかもしれない。子どもの遊びには3要素、つまり 場所、時間、仲間が必要だという。そうはいっても、この場所喪失は子どもの遊び構造を大きく変換させたことは想像できる。その証拠に現在我が家の前は行き止まりの道路なのだが、そこでは放課後に大勢の子どもが遊ぶ姿を見ることができるからだ。つまり車の入らない場所があれば子どもたちは遊ぶのだ。
 古い調査ではあるが筆者は子供たちの遊びの実態を見るために筆者の住む稲城市内の街区公園を午前午後の8時間にわたり遊んでいる子どもの人数を調査した。その結果、 午前はほとんど利用がなく、午後に小学生が数人利用している程度だった。その傾向は郊外地ほど大きかった。逆に郊外地ほど公園面積は大きかったのだが。
 では子どもたちは一体どこで遊んでいたのだろうか?家の周り、幼稚園や学校、空き地、道路、等を活用していたと思われる。つまり遠くの公園より身近な空間を利用していたと考えられる。そこで50名の母親に自分の子供たちがどこで遊んでいたかを質問したところ、乳児、幼児は道路、家の中が大半を占めた。また公園を良く利用すると回答したのは公園から徒歩2分以内に自宅がある母親であり、多くの母親は自宅が公園から離れており公園をあまり利用しないと回答した。このように母親は家から近くに遊び場を求める傾向があった。道路は小さな子供たちや母親にとってとても大切な育児空間なのだ。

公園の利用回数
菊池和美調査作成

どこで子どもは遊んでいるか
菊池和美調査作成

4.土地区画整理で増える公園と幹線道路

 さて土地区画整理を推進する大きな理由が公共用地の設置であることは前にも述べた。区画整理事業では道路や公園などの公共施設が減歩から確保できることから、行政にとっては少ない経費でまちづくりができるという利点があるため広く行われている。確かに日本には一人当たりの公園面積が少ないことが問題視されてきた。都市が過密になり空き地がなくなり子供たちが遊べなくなるので、公園は必要だ。
 区画整理事業では施工区域の3%以上の面積の公園を確保することが定められている。自治体によってはこれに上乗せした面積を規定している場合もある。またこれまでの無秩序なまち(私は無秩序だとは思わないが)を整然とした街並みとすることが決められている。ではここで土地区画整理事業の結果街並みがどのように変化したかを見てみよう。
 以下の例は私の住む稲城市の土地区画整理事業従前従後の街並みの重ね図である。
 稲城市は都心から私鉄で30分あまりのまちで人口は8万人現在である。
 以前は農地が多く狭い農道に道に面して建てられた家も少なくなかった。幹線道路もせいぜい数m幅のもので自動車がスピードを落とさずすれ違うには狭かった。区画整理前のまちは道路が曲がり、狭く、家並みも三角、四角とばらばらだ。
 街区道路は曲がりくねったり、行き止まりだったり統一された基準のものではなかった。さて、そのような町ではあったために、確かに子どもが遊ぶ公園のような公的な場所はなかった。その代り子供たちは家の前で遊んでいた。行き止まりの道路は子供たちの遊び場としては適していた。
 このような状態を改善して、公共の公園を確保し、道路を広げ交通を円滑にし、幹線道路を整備するまちづくりの一環として区画整理が実行されたのだ。
 このような街の状態が区画整理後ではどのような変化を遂げたのだろうか?

資料:稲城市ホームページより
(オレンジの線が事業後の道路)

 まず一番目立つことは幹線道路が整備されて貫通したことだ。そのわきには側道が縦横に走っている。その道路幅は広い。またどの家も公共道路に面することとなった。公園が確保されたが、区内の中心から外れた場所に狭い面積が確保されている。行き止まりの道路はなくなり農地は減少した。また道路の勾配や傾斜も決められる。その結果これまでは狭い、曲がりくねった勾配の急な道が、土地区画整理後は道路勾配が減じ、まっすぐな広い道となる。曲がりくねった道は道路面積が広くなりがちなため、土地利用の面から効率が悪く不経済だからだ。区画整理では道路面積は増加する。そのため区画整理で作られた街はある意味画一的なまちとなる。

5.道路面積増大と拡幅直線化と交通量増大(交通量の変化)

 さてこのような区画整理事業後の地域住民の暮らしはどのように変化するのだろうか?
 まず通過交通が増加する。これはアセスメントでも予測されている。この要因としては道路を通すことが区画整理の目的であったことだけではなく、直線の効率的な道路ができたために通過する車両が流入するということもあるだろう。
 また幅の広い基幹道路の交差点も増えるため、車や人の接触が増え、事故も重大なものへと変化する。
 家の前には道路があるが車が入り込む為にゆっくり話し込むこともできない。また行き止まりの道がない為に子どもが車を気にしないで遊ぶ場所がない。道路はまっすぐ見通しがよく、角を曲がったら何が見えるかなどの発見のないつまらないものだ。公園は整備されたが自宅からは遠く画一的で自然との接点がない。ぐるりと一目で見渡せるからからかくれんぼもできない。
 では交差点の数はどうだろう。道路が縦横に交わっているので交差点数は格段に増えている。曲がった道のときには多少遠かったけど、どの家もうまくつながっていた。

6.失われていく家近くの遊び場(広がった道路、ありきたりな公園の写真)

 街並みの変化は歴然としている。公園をつくるという名目の事業が逆に子どもの遊び場を奪ってはいないだろうか?子どもを家の中に閉じ込めてはいないだろうか?
 これまで近所の道路で遊んでいた子どもたちは、車の通行が増えるため公園以外の遊び場がなくなってしまう。遠くの公園に行かなくては遊べないことになってしまうのだ。
 幅の広い道路が区内を貫通するため道1つ隔てた家と家の交流が途絶えてしまう。
 区画整理事業自体が車のためのまちづくりと考えても差し支えない。車が通れる広い道、車が走りやすい硬い道、車が入れるロータリー、と車のためのまちづくりこそ区画整理の大前提となっているのではないだろうか。

7.親の願いは家のそばで子どもが遊ぶこと(子育ての孤独)

 さて菊池の行った調査では年齢が低いほど親は近くで子どもを遊ばせたいと願っている。できれば公園に行かなくても家の前の道路で子どもを遊ばせたいと願うのはごく自然なことだと思う。子どもを育てる母親、父親は子育てしながら家事も行っている。子どもを遊ばせることだけに時間をあてていたのでは日々の生活が成り立たない。主婦は日中の時間を洗濯、掃除、料理など何重にもあてて日々の暮らしを賄っているのだ。
 しかし最近の子育てはそうはいかない。主婦は子どもを遊ばせるために、遠くの公園へ車や自転車で出かけている。安全な公園につくと子どもをやっとおろして自由に解放できるのだが、その間家事はできないから、公園から帰ってから、掃除洗濯、料理と 忙しい時間が待っている。現代の子育ては本当に大変だと思う。また、もっと大変なのは道を歩いていても常に「危ない」と子どもを制しなくてはならないことだ。
 もっともっとのびのび安心して子育てをさせてあげたい、してもらいたいと心底思う。
 子どもたちがのびのびと暮らすために今の町のあり方は果たして最善だろうか?

8.子どもの遊び声の聞こえるまちに

① 道路は公共空間ではなく共有空間

 さて筆者の考えるまちについて少し説明したい。
 欧米に真似て公共の公園緑地を増やすために躍起となる事だけが果たしてよい成果を生むのだろうか?日本には独自の土地利用の伝統があったのではないだろうか?
 欧米では馬車が交通手段とされていたためもともと道路が広かったという。しかし日本では馬車利用はなかった為道は狭かった。狭い道が悪いという固定観念が日本にはあるが私はそうは思わない。道路は家と家を結ぶ末端の血流のようなもので物資の運搬や排出に欠かせないが、人が暮らすために様々に利用してもいいと思う。人のつながりを生む大切な場所でもある。昔は縁台を道に出して夕涼みをしり、子どもや大人が遊んだり、七輪で魚を焼いたり湯を沸かしたり、お祭りの神輿が通ったり、 両側に並ぶ家いえの共有スペースとして活躍したものだ。道路は公共空間というより共有空間ではないだろうか?役所が管理する他人行儀なものではなく、住民が管理し活用するもっと身近なものであってほしい。

② 地域全体を子どもの育児環境に

 次に地域全体が育児空間であるという発想を持つ。その実現のためにはまず、幅の広い幹線道路に囲まれた面積1ha程度、居住人口千人程度の区域全体を子どもの育児環境ととらえる。そして道路や公園などの公共空間を区画整理で創出するのではなく、現在ある道路を活用する。その街区単位の中の一般自動車の通行道路は幅の広い幹線道だけと限定する。そこには歩車分離を徹底させるため、歩道を確保する。しかし小さな道路は街区に住む人が朝晩の帰りだけ利用する道でとして、歩道はつけない。道に緑を植えてもいい。できれば土の道とする。道路は通り抜けできないように行き止まりとする。

③ 用途地域指定を生かす

 この考え方を支持する根拠として月並みではあるが都市計画法の用途地域指定が活用できるのではないだろうか。より具体的に言えば用途地域に応じて車の進入に規制をかけることが検討されるべきではないだろうか。日本の都市計画では都市計画区域は用途地域を指定している。例として工業地域、商業地域、 第一種住居専用地域、 第二種住居専用地域などの土地利用が決められている。
 これは人がより安心して暮らせるように住み分けるために設けられたた制度である。
 道路への車の流入もこの地域指定区分を活用して、住宅地には一般車両は入れないこととする。これによって通過交通が抜け道に住宅街を走ることはできなくなる。これだけでも随分車から子供たちを守る事は出来るのではないだろうか?町全体が子どもたちの公園だと考えてみることがこれからの世代を担う子どもを育てるために必要だ。
 この提案は回顧趣味的だとの批判もあるかもしれない。だが私は古い道路のあり方こそが現代に見直されるべきものと確信する。
 特に近年は子どもの虐待やネグレクト、自殺やいじめが社会問題となっている。
 私も4人の子供の母親だが、子 育て時期の親は孤独になりがちだ。子どもから常に目が離せず、子どもに縛られながら毎日を過ごす。 社会との接点がとりにくく自分の時間が少ないその上地域の理解がなかったとしたら、子育てが本当につまらないものに思えてしまうだろう。そ んな状況から逃げたいと思っても不思議ではない。子どもを楽しく安心して育てられる環境を整えることはまず地域が一番に取り組まなくてはならないことだ。

参考文献

区画整理対策のすべて区画整理対策全国連絡会議 1993年自治体研究社
子どもが道草できるまちづくり 仙田満・上岡直見2009年学芸出版社
土地区画整理法、都市計画法、土地区画整理法規則
東京の土地利用平成19年多摩島しょ地域東京都子どもの遊び声の聞こえるまちに菊池和美 毎日郷土提言賞優秀賞論文1984年

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