清水真哉
<抵抗勢力>
この四月は歩行者が犠牲となる交通犯罪が相継ぎましたが、4月23日京都府亀岡市で発生した事件は、京都市祇園での事件に劣らない悲惨なものでした。無免許で夜間の集団ドライブをしていた少年たちの無軌道ぶりは、保護者の責任をも問うべきものです。親達は我が子の無免許運転を知らなかったはずはなく、警察に通報するべきだったのです。また免許制度が空洞化しているこの実態は、免許証をIC化してエンジンキーとするといったハード面での対応を急がせるものです。
さらにこの事件で見逃せないことは、現場道路で時速40kmもの制限速度が設定されていることです。2006年9月に埼玉の川口市で、小鳩保育園の園児4人が亡くなり、計21人が死傷した交通犯罪以降、生活道路を時速30kmに制限しようとする動きは確実に広がっているはずですが、事件から5年以上も経ちながら、まだこのように通学の児童が通行する歩道もない道が抜け道となり、時速40kmもの速度で自動車が走行する実態が放置されているのです。悪質な犯人であるため、速度制限だけで事故が防げたという保証はありませんが、ガードレールもないのに、学校へ通う子供の横を自動車が時速40kmで走り抜けるという蛮行が許されていいはずがありません。
なにゆえこのように動きが鈍いのでしょうか。それは制限速度を下げることに抵抗する無数の沈黙したドライバーたちがいるからです。歩行者の生命よりも、自分が少しでも速く移動することに価値を置く人間が多数おり、警察はそうした声なき声にも均等に耳を傾けているのです。
この事件ではまた、無免許運転が危険運転罪にならないことの不当性が問われています。
危険運転罪は無免許運転に限らずその適用条件の厳しさが問題となっていますが、立法に関わる人たちをはじめ世の大抵の人はハンドルを握っており、その人たちには、たとえ事故で人を殺(あや)めることがあったからといって、そのために刑務所に20年も食らわされたら堪らないという思いがあるのでしょう。それゆえ、危険運転罪というものを設けざるを得ないとしても、その適用条件は厳密の上にも厳密にして、我が身に適用されることはないようにして欲しいとの願望を有しているのでしょう。
無免許運転が危険運転罪の「進行を制御する技能を有しない」という要件に該当しない理由付けには、運転者が相当程度実際に走行しているから運転技能を有しているのだという、運転ができれば免許など要らないと言わんばかりの、免許制度そのものを愚弄する馬鹿げた議論が、立法府や司法の場の責任ある立場の人間により公然と語られています。
私たちの問い直す会は、影なき敵と戦っている訳ではなく、抵抗勢力は厳然と存在しているのです。
今回の総会の参加者も前年程度の数ではありましたが、今年は初参加の若い人たちが、元気を出して活動に取り組もうとする意欲を見せてくれました。会の活動の盛り上がりを、皆さんも応援して下さるようお願いいたします。
(2012年6月発行 会報第68号)