清水真哉
<もっと徹底した省エネを>
エネルギー政策についての意見聴取会が各地で催されている。政府の「エネルギー・環境会議」は2030年の発電量に占める原発の比率について、「0%」、「15%」、「20~25%」という3つのシナリオを示しているが、この「0%」でさえ、必ずしも直ちに全ての原発を止めるという訳ではないらしい。これほどの事故を経験しておいて、なお原発にしがみつく欲というものはどこから来るのであろうか。
東京電力は実質倒産したと言っていい財務状況であるのに、東電や他の電力会社の中に、自分から原発を放棄するという選択をするところが一社も現れないのは、電力会社の社員がいかに官僚的に硬直した思考の持ち主ばかりであるかの現れであろう。
国民やマスコミも、東電や政府を批判するばかりでなく、エネルギーの浪費に浸りきった我が身をもっと振り返ることが必要である。
原発事故の被害者に賠償するために、東電が資産を売却し、人件費を圧縮するというのは理に適ったことである。しかし電気料金の値上げの一定の割合は燃料の調達費である。その部分についてまでやたらと人件費の引き下げを求めるのは筋が通らない。
賠償資金にしても東京電力管内で電気を使う人たちは、自分たちの使う電力が原発で作られていることを知りつつ電力を大量に使っていたのであるから、事故について自分たちには何の責任もなく、ひたすら東京電力が悪いという顔をし続けるのはいかがなものであろうか。
電力分野の自由化については発送電の分離ばかりが強調されるが、電力の自由化というよりエネルギー分野の自由化に踏み込む必要がある。どこかの電力会社が他の地方の電力会社を買収したり、電力会社とガス会社が合併するといったダイナミズムが必要である。そうすれば、オール電化を売り込む電力会社とガス会社が対立するといった無意味なこともなくなり、コジェネレーションも進展するであろう。火力発電も今は天然ガスが主力なのであるから、天然ガスの調達といった観点からも利点がある。
原発を止めたからと化石燃料を使った発電に走っているが、温暖化の危機も、後門の虎として控えていることを忘れてはならない。九州や北朝鮮の豪雨、アメリカ、インドの旱魃と、地球温暖化の影はこの夏も顕著である。グリーンランドの氷が例年以上に融けているというニュースもある。上記の意見聴取会で電力会社の社員が発言して、「福島原発で直接放射能で死んだ者はいない」と宣(のたま)ったそうだが、ここ数年の日本の豪雨では、少なくない人数が命を落としていっている。
我々はもっともっと徹底した省エネをしなくてはならない。
気象庁とNHKはのべつ熱中症を話題にし、「適切に冷房を使え」とがなりたてている。しかし私見では、熱中症の根本の原因は空調である。生物の身体は環境に適応するようにできている。夏は暑いのだから素直に暑い所にいれば、身体は暑さに慣れ、汗をかいて、暑さに適応するようになる。ところがエアコンで温度が一定に保たれた環境に常に居れば、身体は暑さに適応する能力を徐々に失い、汗をかくこともなくなっていく。ところが残念ながら地球にエアコンをかけることはできないものだから、エアコンに慣れきった身体で外出すると途端に熱にやられてしまうのである。
自分は冷房も暖房に使わずに暮らしているが、周りの人間を見ていると、暑さ寒さに耐える力のなさに違和感を覚える。自分がまだ暑いとも感じていないのに冷房を入れ始め、寒いとも思っていないのに暖房をつけるのである。私は言いたい。少しは我慢を覚えろ、もっと身体を鍛えろと。
この夏の東京は薄っすら曇っていることが多く、風も絶えることがなく、比較的過ごし易いのであるが、こうしたことも窓を閉め切ってエアコンに浸りきっている人には気付きようもなかろう。
国会はクールビズにも背を向けている。原発を再稼動させた総理は、真夏でも上着にネクタイのフル装備である。この酷暑の日本で、冷涼なヨーロッパで標準化された服装にこだわる理由がどこにあるのであろうか。国会の本会議場にも委員会室にも窓を作り、Tシャツ、短パン、サンダルで審議をするがよい。
(2012年9月発行 会報第69号)