足立:私たちは交通事故が多いという現実を問題だと思って要望している。2,500人亡くなってもやむを得ないということを半ば公然と計画案に書くことは、個人的には憲法違反だと考えている。鉄道、飛行機、遊具等々でも安全目標の基本は死者ゼロであるのに、交通事故だけは何千人の死もやむを得ないという現実が続いている。命の犠牲は1人でもあってはならず、2005年に国連決議により定められた世界道路交通犠牲者の日も、それを願って作られたと思う。車は一歩間違えば危険物となるが、囲いもレールもなく歩行者・自転車のそばを走っており、にもかかわらず車体の安全対策も道路システムや免許取得制度もあまりにも不備が多い。そのために多くの人が亡くなっている。内閣府は施策の実行組織ではないと言われるが、交通安全基本計画をまとめ、施策方針を立てる組織であり、その立場で我々の要望をどう感じるのか、委員会ではどんな話をしているのかを伺いたい。内閣府には交通安全に対する重い責任があり、その自覚を持って担当官をされているのではないか。免許制度なども、いろいろな事故がおきて犠牲者が出てからほんの少し変わる、という現状だが、そういうこともどう思うか。
久保田:計画案の死者目標値の件については、元々交通安全基本計画の立てられた経緯として1960年代に道路交通だけで年間16,000人が死亡するという現実があり、総合対策が必要ということで基本計画が立てられた。その計画をふまえた対策により増減を繰り返しつつ半世紀かけて今、死者が4,000人近くに減ってきたところである。もちろんその陰には犠牲になられた方も多くいることは承知しており、最終的には死者ゼロを目指すことは第9次計画でも第10次計画案でも掲げているが、いきなりゼロを目指すのは難しい部分があり、今できる対策という部分で目標値を掲げ、全体の対策の中で努力している。
目標数に掲げる死者を容認しているのではないことはご理解いただきたい。
足立:ここまで死傷者数を減らしたご努力は素晴らしいと思うが、現実には死者数を容認していることになる。第1次計画時点の死者数が多すぎたため、今の目標数は大幅に減った感があるが、まだ他にすべき対策があり、それによりさらなる命が救われると考えている。それを
内閣府はどう考え、関連省庁にどのように働きかけてくださるか。各省庁とは連携しているのか。
久保田:我々も啓発活動をしている。関係省庁と連携する部分も当然あり、教育など内閣府としてできる部分はできる限りやっている。
足立:もっと踏み込んで、今回のような要望がある場合に関係省庁に検討要請するなどの働きかけはしないのか。そういうことをお互いにしないと各省庁で小さくまとまってしまうのではないか。
久保田:今、第10次計画策定の場でお互いに情報共有しているところだ。
足立:各省庁で集まっているのか?
久保田:専門委員会議などの場もあり、会議が終わった後、総括などしている。必ずしも集まってというわけではないが、いろいろ連絡手段を通じて……。
足立:そのときに市民からの要望が出ているということを伝えたり、検討したりはするのか。
我々は数パーセントでも要望を取り上げて議論してほしいと思って出しているが。
久保田:かならずしも伝えるわけではないが、伝える場合もある。縦割と言われる部分もあるかもしれないが、各省庁で施策の検討をするので、内閣府から話はするとしても、ああしろこうしろとは言いかねる点がある。
榊原:第10次計画案を読むと、クルマの危険性が強く出ていないと思う。事故があるから気をつけようということのほかに、クルマ自体に危険が内在していることをもっと打ち出すべきだ。クルマそのものが構造的に危ない―鉄道ならレールもあり専用の敷地もあるが、クルマはどこでも走れるという状況の中での危険が元々ある。それを教習所などでも強く教える必要があると思う。交通安全対策にもその視点をぜひ盛り込み、見方を変えてほしいというのが強い希望である。
また、1つ伺いたいが、毎年の交通安全運動に事故被害者団体が協賛などとしても入っていないのが不思議だが、どうしてなのか。
久保田:協賛に入っていないのは、この場ではすぐにはわからないので、確認する。
榊原:PTAやマスコミ関係など広範囲の組織が協賛として名を連ねているのに、家族が命を奪われたりして一番苦労されている被害者の団体がないのはなぜかと、いつも疑問に思う。運転する側ではなく、被害を受けた人間も入らないと本当の交通安全運動にならないと感じている。