会報より『事務局より』

2013年3月発行第71号 事務局より

投稿日:2013年3月26日 更新日:

清水真哉

<行政訴訟に裁判員裁判を>

 京都府亀岡市などで相継いだ悲惨な死亡事故以後、交通犯罪に対する法制度のあり方に関して議論が続いたが、法務省は適用に制約の多い危険運転致死傷罪の適用範囲を拡大するのではなく、最高刑20年の危険運転致死傷罪と最高刑7年の自動車運転過失致死傷罪の間に最高刑15年の新しい刑罰を設けることで、議論の結論としようとしているようだ。まるで建て増しを重ねた老舗旅館のように見通しの悪い法体系になってしまうが、そのため交通犯罪の罰則に関する特別法を設ける可能性もあるという報道もある。
 どのような法制度に落ち着くにせよ、私はそれで安堵することはできない。最高刑が何年に引き上げられようと、裁判の段階でいくらでも短い刑期にしたり執行猶予を付けたりすることは可能であり、これまで様々な交通犯罪の裁判の判決を見てきた目には、ことさらに軽い刑で済ませようとする検察や裁判所の見えざる意志を感じざるを得なかったからだ。
 危険運転致死傷罪の適用が期待されていたのは、ただ自動車運転過失致死傷罪より刑が重いからだけではない。危険運転致死傷罪で訴追されると、裁判員裁判の対象となるのだ。専門の裁判官だけの判決では、どこに判決のマニュアルがあるのか、一般人の感覚と懸け離れた甘過ぎる刑が通り相場で、遺族の憤激をかっていた。
 それが昨年2012年の11月、神戸地裁での裁判員裁判で、危険運転致死傷罪に問われた被告に、検察側の15年の求刑を上回る16年の実刑判決が下された。とうとう交通犯罪による殺傷が、殺人罪に近い量刑で裁かれようとしている。裁判員裁判が意義のある制度であるということを、私達は実感しつつある。専門の裁判官だけで裁かれる二審、三審で覆らないことを願うばかりである。
 ところで、交通の分野で行われている裁判で、今までずっと許すべからざる判決が続いている範疇がある。それは道路建設をめぐる訴訟である。裁判官は常に行政の味方であり、いわば、お友達である。裁判員裁判の導入がもっとも必要とされているのは、実は行政訴訟の分野である。
 私達の運動が実りをもたらすためには、まず司法改革が必要なのである。
 行政訴訟を硬直した既成概念の中で生きる専門判事の手によってではなく、一般市民の常識と時代感覚に委ねることは、司法改革を超えて、行政改革にも繋がっていくことであろう。それは日本という国の更なる民主化なのである。

(2013年3月発行 会報第71号)

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