生命尊重のくらし方と結合した交通社会と交通教育の創造を
「スローライフ交通教育」をめざして(上)
前田敏章
はじめに
近年、交通死者数のわずかな減少をとらえ、安全対策が奏功しているかのように喧伝されることがあるが、事故件数と負傷者数は減っていないのであり、警察庁の統計は24時間以内の犠牲者を死亡としていること、頭部外傷による重度の後遺症は最近10年間で2倍になったという現実1)などを直視するなら、道路交通事故被害は依然深刻な事態と認識すべきである。
WHO(世界保健機関)は、2002年の1年間に世界中で道路交通事故により亡くなった人は120万人、負傷した人は5000万人と推定されるという衝撃的実態を報告した。2)
「交通戦争」の惨禍を防ぐことは世界的課題であるにも拘わらず、クルマ社会のもたらす負の側面に追いつけない社会という現状がある。日本も例外ではない。
そして、学校教育における大勢の交通教育は、技能による「安全」教育に偏り、モータリゼーション拡大に順応的でこれを補完する役割を果たしている。
2000年に発足した「交通教育研究会」は、クルマ社会を問い、総合的な交通教育をめざして活動してきたが、2006年、「スローライフ交通教育の会」(Institute of Traffic and TransportationEducation for Slowlife 略称:ITTES)と名称を変更し「持続可能な社会に向けて、生命・環境・エネルギーの各面に配慮した交通体系の追求と、これを保障し得る人権の尊重、ならびに生活空間の形成に寄与する学校教育の振興と主体的市民の形成」(会則より)を目的に研究および実践を進める会として再出発した。3)
本稿では、児童生徒の安全が脅かされている実態、およびその中での高校生の意識を明らかにしながら、生命尊重のくらし方と結合した交通社会と交通教育の創造をめざす「スローライフ交通教育」の理念と端緒的実践例、課題について報告する。
I 交通禍に脅かされる児童生徒の生存権
ユニセフ(国連児童基金)は、2001年2月、「豊かな国の子どもの事故死」4)という報告書で、加盟26か国の1991~1995の5年間の統計から、10万人当たりの事故死率を算出(日本は8.4人。最も少ないのはスウエーデンの5.2人)。最大の原因は交通事故で、事故死の41%を占めると警告した。
この中に「事故の氷山図」があり、子ども(0歳から14歳)の事故被害で1件の死者の背景に160件の入院、2000件の事故があることも指摘している。
また、図2のグラフ5)から明白なように、日本は、歩行あるいは自転車乗車中の交通死の割合が欧米諸国に比べても図抜けて多く、児童生徒の危険な状況がうかがい知れる。
当地北海道においても、先頃小学生の交通事故増に警鐘が鳴らされた6)が、道内の小学生から高校生までの児童・生徒が、歩行あるいは自転車通行中に遭う交通禍は、2001年以降1万人当たり25.0人(01~06年の平均)と高止まりである。
車両同乗中の被害も含めると、道内だけで毎日6.2人が傷つき、毎月1.2人の割合で尊い命が奪われている(97~06年の平均)という深刻な事態が続いている。7)
生徒の置かれている危険な実態を、札幌市内A高校(1年生と3年生対象、計578人、2005年秋調査)、および札幌市内B高校(全校生対象、計1057人、2002年春調査斜体で表記)において調査した。8)
「事故にあった経験」はそれ ぞれ578人中、83人(14%)、1057人中、188人(18%)に及び、A高校では、そのうち2割の17人が2回以上も遭っている。被害の程度は、入院・通院がそれぞれ、11人(1.9%)、27人(2.6%)。軽い怪我が38人(6.6%)、101人(9.6%)であった(図4)。態 様は自転車通行中が77%、66%と圧倒的に多く、被害体験は年齢の高い3年生の割合が高い。
また、図5のように、「クルマにより危険を感じたことがある」が321人(55.5%)、651人(62%)に上ること、さらに2回以上あるのが255人(44%)、503人(48%)にも達することは、先述の「事故の氷山図」を裏付ける。
そして注目すべきは、実際に被害に遭った場合も、学校や警察に届けない割合が非常に高いことである。(図6)
事故に遭ったと回答した83人、188人の中で、学校又は警察に届けてない者が32人(39%)、75人(40%)と、「 届けた者」25人(30%)、50人(27%)を上回っている。被害者であるのに、「注意が足りないから被害にあった」などと逆に叱責されたりすることが要因の一つと思われるが、統計に表れる数以上の被害が予想できる。
このように、生徒にとって通学などの生活道路は正に危険極まりない空間となっており、総括すると、北海道内において高校3年までに、およそ6割の生徒が危険な場面に遭遇し、2割に近い生徒は実際に被害を受け、約2%の生徒が病院にかかるという憂慮すべき実態が浮き彫りになる。
II「クルマ優先社会」と若者
1「クルマ優先社会」
私事になるが、筆者の長女(当時17歳)は、1995年、学校 帰りの歩行中に、カーラジオ操作の脇見運転という前方不注視の運転者によって、理不尽に命を奪われた。遺族となり、悲嘆と絶望の中でさらに心を痛めたのが、娘の受けた「通り魔殺人的被害」を「仕方のない事故」と 軽視する社会の扱いだった。 当時の裁判官は、 加害者の罪状について「数秒間のちょっとした不注意であり、往々にありそうな事」と、不当な執行猶予付き判決の「理 由」を 述べた。命の尊 厳をいとも簡単 に踏み にじるこの不条 理な社会の背景 に、マインドコ ントロールされた「クルマ優先社会」が厳然と横たわる。
宇沢弘文は「 自動車の普及によって、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の行動の自由が存在するという近代市民社会のもっとも基本的な原則が崩壊しつつある」9)と指摘していた。自動車メーカーは、若者をターゲットに、クルマのスタイルやスポーツ性を強調し、バラ色の「クルマ社会」の一員となることを誘う。とりわけ歩行者、子ども、お年寄りがクルマから受ける被害は生存権という基本権の侵害であるにもかかわらず、「利便性」や「経済効率」を 絶対視する「クルマ優先社会」は、この犠牲を「便益の裏返しとしての社会的費用」10)と容認する。
なお、ここで使われている、犠牲を容認し社会全体で負担すべきという「社会的費用」は、宇沢弘文などが、交通事故被害などをもともと発生してはならないものとし、そのためのインフラ整備の費用を内部化-自動車通行者に負担-させるために用いた概念とは似て非なるものであることを付け加える。
2 「イニシャルD」にみる若者の意識
「INITIAL(頭文字)D」という 講談社のコミックがある。ゲームのキャラクターともなり映画化もされた。若者に人気があり、 影響を受けた青年が加害者となった事例が2003年に北海道深川市でも起きた。
裁判でも明らかにされたが、運転していた学友(=被告)が、物語の主人公に憧れ、公道での峠下りに向かう途中、時 速100キロを超えて暴走し、カーブを曲がり切れず電柱に激突。
助手席の青年が犠牲になった事件であり、被告の青年は危険運転致死罪の適用となった。ちなみに「イニシャルD」はドリフトのD。ドリフトとは、コーナーの進入で意図的にリヤタイヤを滑らせ、ステアリングとスロットル操作でスライドさせたままコーナーを回るというドライブテクニックを言う。主人公は家業の豆腐屋を手伝う普通の高校生であるが、何と中学1年の時から元ラリー屋の父に自家用車で豆腐の配達を手伝わされ、無免許で公道の峠道を走りドライブテクニックを身につけたという不法極まりない設定の物語である。
これについて、先述の札幌市内A高校で行った意識調査結果を図7に示すが、男子の4人に1人が興味を持って本を読み、映画館まで足を運んでいるなど、肯定的受け止めは多い。
もちろんここでの「興味あり」がイコール実際の「 暴走運転」ではなく、あくまで物語世界の事と理性的に捉える者が大多数とは思う。しかし不法行為をヒーローに仕立てあげ、日常化させているこの物語が、徐々に理性を麻痺させる役割を持つ問題作品であることは間違いない。実際に、道内のある少年院でイニシャルDについて尋ねたところ、全員が知っていた。
この出版や上映に際し、社会的批判がほとんど為されていないことは異常と思われる。若者が 幻想としてのクルマの虜にされ、加害者 予備軍としての危険に晒されているクルマ社会の典型的断面と言える。
3 被害の立場から一転、加害者 予備軍に走る生徒
そして学校現場で実践される大勢の交通安全教育は、意図しないまでも結果として、この「クルマ優先社会」に無批判な構成員を産みだしている。生徒は、自身重大な危険に晒されている高校時代までの被害の立場から、免許取得後は一転、いとも簡単に他者をも危険に陥れる加害者予備軍となる。
そうした危惧の一例だが、札幌 市内高校の青信号で横断中に 左折トラックに轢かれた学友の死を悼む文集11)に、「全てが偶然でした」「車によけてもらうのでなく、自分からよけるようにしなくてはなりません」など、交通犯罪被害を「仕方のない事故」と捉え、被害者としかなり得ない歩行者自らが責任を負おうとする倒錯した意識を反映した記述 があり愕然としたことがあった。
上記の高校生の受け止めが果たして大多数なのかどうか、先の札幌 市内A高校における実態調査の項目に加えたが、結果は杞憂ではなかった。質問項目と結果(図8)を示す。
6年ほど前、札幌市内の高校1年生(女子)が、登校途中、青信号で横断中に左折トラックに巻き込まれ、即死されるという大変痛ましい事故がありました。
次の一文は、同じ学校の高校生が事故後「交通事故」について書いた感想の抜粋です。もし皆さんがこの立場(同じ学校の生徒が、同じような事故で命を失った)とすれば、どの感想に一番近いですか。
① 完璧な人間はいない。運転するのも人間だから、車が絶対によけてくれるとは限らない。車によけてもらうのではなく、自分からよけるようにしなければならない。
②注意をするという気持ちを持って行動したとしても交通事故が起こってしまうのは仕方のないこと。事故に対する知識をできるだけ持って防いでいきたい
③私たち高校生や小中学生などが交通ルールを守っていても、交通事故は防げない。車を運転する人が、前後左右の安全を確実に確認する必要がある。
④ どちらともつかない。(又は別な意見)
同調査ではさらに、犠牲はやむを得ない「社会的費用」という 考え方について、「スローライフの交通社会」を対極にして尋ねた。
交通事故についての次の考え方で、自分に近いものを選んで下さい。
① 社会として自動車交通の便益を享受している以上、便益の裏返しとしての社会的費用である交通事故の被害を最小化するとともに、・・・社会全体がバランスよく負担していく方向で施策を強化していくことが必要。
② 人の命には換えられないから、速度規制や厳罰化、免許取得の厳格化など、車使用の社会的規制を現行より強める必要がある。効率性や利便性よりも安全・安心のスローライフの社会が良い。
③ どちらともつかない。(又は別な意見)
結果は、男女差が若干見られ、男子では30%、女子では18%が、交通禍を仕方のない「社会的費用」と捉えていた。(図9)
若干乱暴な設問項目とは言え、他の調査結果と重ね合わせて分析するなら、消費資本主義社会の中で意図的に醸成されているクルマ優先の意識構造が浮き彫りになる。
2002年春、道 南のある高校で交通安全について体験講話を行った後の生徒の感想文に、次の趣旨のものがあった。
◆「いつまでもそんなふうに悲しむ必要ないと思う。もしかしたら、それが彼女の運命だったのかもしれない。とにかく6年以上もずうっとひきずって悲しんでいたら娘さんは迷惑する。成仏できなくなるから」(1年女子)
◆「殺された家族の気持ちは、 ひいた運転手を殺したいくらいにうらんでしまうと言っていましたが、うらむのは良くないと思います。 ひかれて死んだ人は前世で悪いことをして又は現世で、うらみ、ねたみの悪い心をもっていたから、早くして命を亡くしてしまうの
だと聞いています。私は因果応報というものがあると思っています」(3年女子)
娘の交通死について親の心情を吐露する際、その 受け止めの多様さに、ある程度の覚悟は何時もしている。しかし、この一文を読んだときはやはり辛かった。公道上で何の非もないのに、何の関わりもない相手に命まで奪われるという、「通り魔殺人」に 遭ったと同じ被害を「仕方のない運命」と 受け止める。これが現在のクルマ社会の生徒への投影なのかと思う。
〈注〉
1)平成12年版交通安全白書 には「交通事故による身体障害者は全国で13万人,その中で重い傷害を有する者は約3万3千人いると推計されます。 また,自賠責保険の重度後遺障害に 係る支払い件数は,最近10年間で約2倍に増加しています( 平成元年度973件,10年度1,944件)」との記述がある。
2)WHO“World report on road traffic injury prevention ”2004年
3)http://www.ne.jp/asahi/remember/chihiro/site2/mokuji.htm
4)UNICEF “A League Table of Child Deaths by Injury in Rich Nations”2001年
5)平成19年版交通安全白書の「諸外国の交通事故発生状況」より作成
6)地元紙 「北海 道新聞 」は2007年4月5日付け紙面で、2006年の 小学生1万人 当たりの死傷者数が30.0と過去20年間で2番目に高いという道警調べを 紹介 。
7)北海道教育委員会の「交通事故発生状況」および 文部科学省の「学校 基本調査」の数 値より作成。図3の死者数のみ同乗での被害を含む。他は歩行もしくは自転車乗車中。
8)A校は、札幌市内の新興住宅地に立地する道立普通科高校で学年8学級。B校は札幌市内郊外に位置する道立普通科高校で学年9学級。両校とも自転車通学生が約7割と多い。冬場はバス通学が主となる。
9)「自動車の社会的費用」岩波新書1974年
10)「現 代の自動車社会においては、誰もが交通事故の当事者になってしまう危険と背中合わせであると言ってもよく、(中略)社会として自動車交通の便益を享受している以上、自動車交通社会の便益の裏返しとしての社会的費用である交通事故の被害を(中略)社会全体がバランスよく負担していく方向で関連する施策を強化していくことが必要である」(「交通安全白書」平成12年度版)
11)パンフ「青春の灯」札幌東警察署編集1999年※本稿の内容は、2007年7月の交通権学会研究大会での発表に基づいている。※次回は、現 行の交通「安全」教育の問題点、「スローライフ交通教育」の提案、実践事例等について報告する。
(会報『クルマ社会を問い直す』 第49号(2007年10月))