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「スローライフ交通教育」をめざして(下)

投稿日:2008年1月25日 更新日:

生命尊重のくらし方と結合した交通社会と交通教育の創造を
「スローライフ交通教育」をめざして(下)

前田敏章

III 現行の「交通(安全)教育」の問題点

1 被害の責任を子どもや歩行者に転嫁する「安全」教育

 これまで述べた児童生徒の交通禍の実態に、社会はどのようにその対策を講じてきたのだろうか。高校生の意識に投影した学校での交通教育はどのようなものであったのだろうか。被害に遭わないための受け身の「安全」教育は行われても、生命、人権、環境という現代社会の課題として交通社会そのものを問う総合的な交通教育は為されていない、若しくは不十分だったのではないだろうか。
 このような問題意識を鮮明にさせる以下の事件が生起した。
 2007年5月15日、札幌市内の小学2年生3人が、下校中横断歩道上で信号無視のトラックにはねられ重傷(うち1人は重体)を負うという惨禍があったが、当該小学校の校長は事故後の全校集会で、児童に「信号が青になっても、運転手の目を見てから横断歩道を渡りましょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」(「北海道新聞」2007年5月16日、傍点筆者)と呼びかけたというのである。
 大人でも無理な注意行動を小学生に指示しなければならないという異常さに愕然としながら、その後の報道に注意をしていたが、運送会社など免許を持つ運転側に大々的に再発防止を訴えるという動きや、市内他区を含めたスクールゾーンの通行規制見直しの動きもなかった。
 そして6日後、何と同じ札幌市内で、青信号で横断中の小学2年生がトラックにひかれ死亡するという惨事が起こったのである。それでも社会の対応は「交通ルールの徹底を、市が緊急会議、各校に文書配布へ」(「北海道新聞」2007年5月23日)であった。
 ここにあるのは、現行の交通教育の問題が深い影を落とし、交通社会の見直しという課題認識を妨げ、それがまた飽くなきモータリーゼーション推進につながるという負の連鎖ではないだろうか。
 学校での交通安全教育は、政府の「交通安全基本計画」1)(以下「計画」)によって位置づけられている。「計画」は「安全意識の徹底」「安全思想の高揚」など 精神面ばかりを強調し、この徹底で児童生徒の安全が守られると過度 に期待 するから、現状の交通社会の負の側面を問うことはなく、被害の責任は児童生徒に転嫁される。
 また、現行の「安全教育」には、しばしば児童生徒の発達段階を考慮しない教育項目が挙げられる。「計画」を具体化した国家公安委員会作成の「交通安全教育指針」(1998年)では、幼児に対して、「交通マナーを実践する態度を習得させる」ために、「自動車等の基本的な特性及び合図を習得する」として、「制動距離」や「死 角」「内輪差」について「理解させましょう」とあり、児童期についても同様で、距離の知覚が未発達であるのに「自動車等の速度が速い場合などに制動距離が長くなる理由を具体的に説明し」などとある。
 このように、生理的な発達段階からみて無理なことを理解・習得させようとするから、被害にあったときの責任は、免許を取得 し車を操作 した運転者や安全な道路環境 整備 を怠った社会ではなく、安全な行動を「習得や指導」出来なかった子どもや保護者に向けられる。
 その結果、危険な道路環境やクルマの使用法の改善は行われず、前 記報道記事にあるように、被害者としかなり得ない子どもや歩行者に対して、たとえルールを守っていて被害にあった場合でも、さらに「交通ルールを守ろう」「 車に気を付けて」と無理な注意喚起をするにとどまるのである。
 子どもの注意力の発 達だけに 期待 する 立場 では、どれだけ多くの子どもが犠牲 になっても、交通安全教育を生涯教育として位置づけるなど、徹底して注意力の向上を図れば、被害は防ぐことが出来ると、クルマ社会の未来を根拠もなくバラ色に描く。

2 「心」と技能教育に矮小化する「交通心理学」

 政府の「計画」に影響を与えたと考えられる長山泰久氏の論文「交通教育の体系化」2)には、次のような問題点があると考える。

  • ・人間行動はすべて対人関係の中にあるとして、「交通社会人」としての「センスを身につける」ことを強調。幼児の段階からの「交通教育の体系化」を 提言し、安全問題を「人間の側の質的向上」によって解決されると楽観視するが、人間の知覚や認知という生理的能力には発達段階があるのであって、その生物学的「進 化」を安全の条件にすることなどは非科学的と言わざるを得ない。
  • ・道路環境という概念にも「人」を介在させ、「運転は心の問題」を強調。「日本では、交通が他人との関係のもとで成り立っているという認識が低い」などと事故防止対策を個としての「心」と技能教育にとどめている。
  • ・ドイツやアメリカの学校教育における運転者教育を評価し、免許 取得と車両所有に便宜をはかる教育へと導いているが、これらの国が果たして先進例なのかどうかは現状の被害実態からも疑わしい。3)

3 「安全教育」=「免許取得を前提とした運転者教育」に短絡。

 2001年の7次「計画」は、高校生に対して「免許取得前の教育としての性格を重視した交通安全教育を行う」と運転者教育の導入を明記した。これは、児童・生徒を学校教育の中で、現状の危険な「クルマ社会」へ適応させることにつながるという大きな問題を抱える。
 「免許取得前教育」という位置づけが現れたのは、1996年の第6次「計画」であり、これは1995年に「免許取得前の若者に対する交通安全教育の在り方に関する検討会」の報 告を受けてのものである。この要旨は、1998年の『交通安全白書』に「若者が将来免許を取得し、交通社会に運転者として参加することを前提に、『交通社会を安全に生き抜く知恵や態度を育む』という立場に立った交通安全教育が必要」と紹介されている。
 しかし、この「立場」はあまりに短絡した対症療法的発想である。高校生向けの交通安全教育資料に、「免許証を手にするということは、見方によれば、交通戦争の召集令状を手にすることと言えるかも知れない」(西山啓『 交通安全』一橋出版、1994年)という物騒な表現が使われており驚いたことがあったが、同じ「立場」と考えられる。4)
 戦争は人が起こすものである。「交通戦争」は 一体誰が起こし推進しているのか。そしてその犠牲となるのは誰なのか、問う必要がある。
 「安全教育」=「免許取得を前提とした運転者教育」ではないはずである。「自他の生命を尊重する態度」(文 部科学省『 高等学校学習指導要領』 の保健体育、交通安全の項)という基本理念に立つならば、そして現在のクルマ利用の安全面での問題点を考慮するなら、自分がハンドルを握る立場になることの是非も選択肢に入れて考えさせるべきではないだろうか。
 IおよびII章で述べた深刻な交通禍は、運転免許保有者数、自動車保有台数、自動車走行キロの 飛躍 的伸びと 軌を一にして 増加傾向にある5)のであって、モータリゼーションの拡大自体がリスク増の要因 となっている。いわば進行するモータリゼーションに追いつけない社会という現状が厳然と在る中で、「交通安全教育」の名のもとに、免許取得前教育を学校教育に持ち込むことは、国民皆免許体制により、リスク要因を拡大再生産することにつながるということを考えるべきである。

IV スローライフ交通教育の提案

1 モータリゼーション拡大につながる「安全」教育から総合的な交通教育へ

 交通死傷被害の増大という現実およびその要因 を直視できない社会がある。ウルリ ヒ・ベックは『危険社会』(法政大学出版局1998年)の中で、「今日ほどわれわれが新たな概念を必要としている時代はない」と、近代の「( 産業化された)危険社会」について警鐘を鳴らした。ベックは同書で「危険を指摘する人々は『悲観論者』であり、危険を捏造する者であると誹謗される」と、これまでの危険認識について批判しているが、交通事犯被害も、 ベックが指摘する「 危険社会」の側面として、近代社会が抱える大きな課題として捉えるべきである。
 学校教育においても、クルマ社会の負の側面が正当に扱われず、安全についての技能教育に偏り、人命尊重の人権教育、環境教育の側面をもつ総合的な「交通教育」の位置づけがなされなかったことが交通禍を拡大させている一因と考える。
 「交通社会を安全に生き抜く知恵や態度を育む」という対症療法的教育にとどまるのではなく、現状の危険 な交通社会そのものを主体的に問う教育内容が用意されなくてはならない。
 もとより教育の目的は「人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者」として「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して」(教育基本法)にある。主権者を育てるに相応しい教育内容として、例えば 公害環境問題のように現代社会が直面する課題として正当に位置づけられなければならない。

2 スローライフ交通教育の提案

 生命尊重を基本視点として、自動車交通に おける安全・環境 ・エネ ルギーの 諸問題を総合的に 捉え、これらの負担軽減 と人 間性 がより発展される 豊かな社会を目指す交通教育を提案する。
 現代のクルマ社会の病理は生命身体の安全の問題の他に、環境、エネルギー問題まで根深い。そして、今日のモータリゼーションは、市場メカニズムによる需給均衡、経済効率を唯一「善」とする市場原理主義に支えられている。これが、公共交通体系を衰退させ、郊外型ショッピングセンターの乱立に典型 なス プロール 化(土地 利用 無秩序 化)をひき起こすなど、それがまた過度 の自動車依存 へと 悪循 環していると考えられるからである。モータリゼーション社会自体を問い直し、今後の社会政策や制度の改善 に寄与する教育が学校に求められる所以である。
 市場原理主義への対案という意味で「スローライフ交通教育」という名称を考案した齊藤基雄氏(( 財)政 治経済研究所非 専任研究 員)は、「(名称は)市 場原理主義の追求する『オン・デマンド』や『ジャスト・イン・タイム』の対義語として名づけられた。モータリゼーション社会を真に問い直すには、単体としての車や道路、ドライバーの危険性といった要素のみ槍玉にあげる手法では限界がある。交通とそれをとりまく社会・経済のありようを、集団レベルのリスク問題として、次代を担う青少年の一人一人が捉えられるよう、生徒の思考を助けること」に重点を置き、「共生の交通社会」をキィワードに「 国民皆免許社会」からの脱却を提案する。6)

3 生徒が主体的に学ぶ交通教育

 「スローライフ交通教育」は、生徒一人ひとりが能動的に、交通手段との向き合い方や、交通を発生させている社会経済 的要因 などを 考えることを通じて、サステナビリティ (人 間社会の持続性)の視点から、生命・環境 ・エネ ルギーに負 荷をかけない交通体系の存立を可能とさせる街づくり ・む らづくりという社会合意に寄与するものであり、一人ひとりの暮らし方まで考えさせることを主眼に置いている。従って、その教育手法は知識伝達型や啓蒙主義的な押しつけ的なものでなく、主体的でなければならない。
 その際、留意すべき事の一つは、生徒の意識がどのような社会背景の影響を受けているか分析することであり、二つ目は生徒の認識能力 や価値形 成の段階 を視 野に入れることであろう。
 「スローライフ交通教育の会」の会員で高校教諭の池田考司氏は、消費意欲のあくなき拡大を求める 消費 資本主義の中で 醸成され肥大した 欲望としてのクルマ願望 について分析7)し、情動、 感情と結びつく交通教育を提唱。導入として事例や被害者の声を取り上げること、その後の学習内容・ 教材は人の認識能力 や価値形 成の段階 を視 野に入れ構造化する 必要 を提起する。

4 スローライフ交通教育のテーマ例

 交通教育を、学校教育の教育課程に位置づけること、例えば、総合的学習の時間のテーマとして位置づけること、高校の教科目では公民の「現代社会」をメインに学習項目として位置づけることを提案したい。その上で関連する学習内容を、 地歴や理科、保健体育、あるいは家庭科など全ての教科科目に拡げるべきである。多様な学習プランがあるべきだが、テーマ例を試案として示す。

  1. (1) 現在のクル マ社会がもたらす負の側面である不可逆 的な命と健康被害について、被害の視点から最も基本的な生存権の問題として重視する。身近と感じられる体験講話や手記、ビデオ なども 活用する。同時に世界 的な課題であることも適切な統計資料 を用いて明らかにする。テーマ例・「交通犯罪被害の実相」・「世界は今も交通戦争」
  2. (2) クルマの危険性について科学的に学ぶ
    1. ①クルマのもつ強大な衝撃力。制動距離など物理的特性の理解。
    2. ②運転者および道路を共用する子どもお年よりの知覚、判断、動 作能力など人間の生理的な特性と限界。テーマ例・「クルマの衝撃力」・「クルマは急に止まれない」・「反応時間と停止距離」
  3. (3) 青年期の心理と、現代の消費資本主義社会における幻想としてのクルマ願望。加害者となった青年の例。テーマ例・「若者とクルマ社会~作られたクルマ願望」
  4. (4) 大気汚染温暖化など不可逆的な自然環境破壊とエネルギー問題。東京や名古屋の大気汚染裁判の意義を学ぶ。テーマ例・「大気汚染裁判とクルマ社会」・「地球温暖化問題、エネルギー問題とクルマ社会」
  5. (5) 新しい権利としての「交通権」(安全 ・環境 ・福祉 などの 諸問題に配慮した交通の権利)について学び、安全な生活と地域コミュニティづくり、環境・エネルギー問題を総合した街づくりの展望と課題を考えさせる。
     クルマの総需要抑制、公共交通機関の整備、自転車利用の拡大の課題、児童生徒の通学問題など、人や地域のくらし方との中で、免許を持たない生活スタイルの選択もあることなどクルマとの関わりを主体的に考えさせる。テーマ例・「交通社会の歴史と交通権」・「ローカル線廃止と通学問題」・「規制緩和と運輸問題」・「新しい地域コミュニティづくり」・「豊かな社会論」

V 実践例

1総合的学習の時間でのテーマ学習

 筆者の勤務校、北海道千歳高等学校定時制における2005~6年の実践事例を報告する。
 対象生徒は2学年20数名。総合的学習の時間におけるテーマ学習「若者とクルマ社会」として3時間展開で行った。

(1) 1時間目;テーマ「被害の実相」

 筆者の娘の事件など交通死の具体例から、命の尊厳、親の心情について述べ、被害者の視点から交通死傷事件の本質を考えさせた。(資料:手記、報道記事、ビデオなど)

(2) 2時間目;テーマ「クルマを科学する」

 運転免許資格には高度の専門性と人命尊重の人格が求められることの学習。一例として、車のもつ 強大な エネ ルギーと 停止距離 (=空走距離 +制動 距離 )を 物理の計 算から 導くなど危険性を具体的に学ぶ。同 時に反応時間についての実習を行い、運転の側からの空走距離について理解を深めるとともに、道路を共有する子どもやお年寄りは、 反応時間など生理的に未発達もしくは衰えるので、安全を守るのは ドライ バーの責任であることを強調 した。(資料:ワークプリント)

(3) 3時間目;テーマ「クルマ優先社会と若者」

 交通犯罪加害者の刑事罰の不当な軽さ、「イ ニシャルD」の影 響を受けた若者の事件例などから、交通犯罪被害を続発させている背景としての「クルマ優先社会」とその中で意図的に形成されている若者のクルマ願望 について考えさせた。クルマ使用 の社会的規制強化 ともに、クルマ問題から真に豊かなくらし方や街づくりの課題があることを提起。まとめとして感想レポートを課した。(資料:交通犯罪関係法令など)

(4) 生徒の感想例

  • ◆あたりまえのなかに埋もれてしまっている危険は、確かにそこに存在しているのだ。そしてそれを、現在は効率等を優先して後回しにしている。本来最優先されるべき安全を「注意」するという個々に任せてしまっている。それ故に免許というものが存在するのだが、それすらも免許というほどの重さを持っていないように思える。(2年男)
  • ◆とても重要な学 習ができたと思う。人の命よりも車の社会が優先されるのはとてもおかしい事だと気づいた。(2年男)
  • ◆「車は速く格好良く走るものではない」この一文を見たとき、本当にそうだと思った。免許を持っているほとんどの人が本来の車の在り方を 間違って認識しているだろうと思う。そう考えるととても恐ろしくなった。これから免許を取る人も、今免許を得ている人も、もう一度車と人、命について学び直せたらと思った。(2年女)

2 体験講話より

 筆者は7年ほど前から高校などでの交通安全講話を担当する 機会が 多く、2000~2006年度の延べ回数が、高校39回、大学9回、更生施設8回になり、受講者数は、集計 データのある2003~2006年度の4年間で延べ16,512人となった。
 テーマはいつも「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」であり、命の大切さとクルマ社会を問い直す必要性 を話している。主体的に学ぶ交通教育としては導入 にあたる実践であるが、講話のレジュメおよび生徒の感想例を示す。

「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」

【講話レジュメ、抜粋】

  1. (1)被害の実相娘の事件、歩行者・自転車の被害の多くは、被害者からすると「通り魔殺人」的被害。引き続く「交通 戦争」。「 殺人兵器」的に 使われているクルマ(世界的被害数、日本の身体犯被害の96%はクルマによる)
  2. (2)クルマ優先社会の現実
  3. (3)クルマの危険性
  4. (4)被害ゼロのために
    1. ①「事故だから仕方ない」ではなく、「被害者の視点」から本質を。
    2. ②クルマ優先社会を見直し、共生の交通社会をクルマ使用に対する「社会的規制」の強化(免許制度の厳格化、生 活道路での歩行者優先と速度規制、歩者分離)
    3. ③クルマの有用性に対する認識の転換を 「クルマは速く格好良く走るものではなく、ゆっくりだが、雨風しのいで、荷物も積んで、 ドアからドアへ移動できる便利なもの。子どもや高齢者、病気の人に特に必要なもの」
  5. (5)最後に
    親にとって子はかけがえのない宝。他人と自分の命を真に大切にして欲しい。

【講話の感想例】

  • ◆今日講話を聞いたことで「死の運命」は、他人の絶対的な力によって押しつけられることではないと考え直しました。人には生きる権利と死ぬ義務があって、それは決して他者には手出しすることができない神聖な場所なのでしょう。私のまわりに、事故でけがをした人も、そして死を強いられた人も幸いながらおりません。そのため日々ニュースで流れる、交通事故で権利を冒涜された人々の聖域を考えることもありませんでした。今回“事故の死”を「運命」という一つの言葉から離し、考える機会をいただいたことに感謝しています。(3年女)
  • ◆車は便利な道具です。しかし今のところ私は高校を卒業しても、自分で運転するつもりはありません。以前から考えていたことですが、今日改めてそう思いました。人の命をも奪ってしまう凶器にも変わり得るその道具を、自分の楽のために軽々しい気持ちで使うのは許されないことです。常に「自分が運転をする時には他人の命も関わっている」ということを忘れずにいられるドライバーでなくてはなりません。(3年女)

VI考察と課題

 今回の報告(特に実践について)では、環境エネルギー問題、公共交通機関の問題などについては触れられなかったが、命の尊厳、クルマの科学、クル マ社会と若者など、いくつかの切り口からクルマについて課題の存在を理 解し、 主体的に思考し判断していく契機 にはなったと思われる。事件事例を通してのクルマ社会の諸問題、運転免許模擬試験問題との関連反応時間の実習など、生徒が身近に感じる導入と展開は手応えもあった。
 クルマ問題は若者にとって身近な興味 を惹くテーマであり、ここに焦点を当てた交通教育のカリキュラムは、命の教育として、交通権を含めた人権教育として、また環境教育として欠かせないテーマであり、子ども・青年が現代社会を総合的に読み解き、生き方へとつなげるための教養としても重要であると思う8)
 クルマ問題を切り口に、小学校から大学の各段階において、子ども・青年の課題意識を醸成し、主体的に深く追究するテーマとして確立させることが今後の課題である。例えば、高校においては、反応時間の実習は、物理分野の中で落下距離から落下時間を計算するという問題に関連して 展開 することもできるし、空走距離 や制動 距離 の問題は数学の応用として扱うこともできる。社会科や理科での環境・公害、エネルギー問題、保健での健康・安全問題など直接的に関わる科目での取り上げはもちろん、国語で詩や評論、英語で海外の交通問題に関わる レポートを教材化するなど、問題意識が明確になれば多くの教科で多様な切り口から実践を積み上げることができると考える。
 共生の交通社会づくりを主体的に担う教育として「スローライフ交通教育」の理念と実践を発展させ、体系化を進めたい。

〈注〉

1)交通安全対策基本法22条1項に基づき中央交通安全対策会議が作成する。

2)第3次「計画」の参考にという趣旨で(財)住友海上福祉財団が募集し、内 閣総理大臣賞を受けた長山泰久氏の論文(『人間と交通社会』幻想社1989年所収)

3)例えば、総 務庁『交通安全白書』(2007年)の2005年統計によると、アメリカの人口10万人当たり交通事故死者数は14.7人と各国に比し格段に高く、ドイツ(同6.50)も日本(同6.21)より高い。自動車1万台当たりについても同じ傾向である。

4)この立場で交通教育資料として作成され教育現場に配布若しくは頒布されているもの『自動車、そして人』(日本自動車教育振興財団1999年)、および『私たちの生活と交通』(財団法人社会経済生産性本部、2002年)などがある。

5)政府の「 第8次交通安全基本計画」(2006年)には、「しかしながら死傷者数と交通事故件数は昭和53年以降ほぼ一貫して増加傾向にあり17年中の死傷者数は116万35,504人、交通事故件数は93万3,828件と若干減少したものの、依然として高水準にある」との記述がある。

6)齋藤基雄氏は「 共生の交通社会」のねらいについて次のように述べる。「クルマの運転における人々の能力や適性が個別に異なる以上、運転できる人ができない人やしたくない人を不当に差別したり、あるいは体調不良の運転者に運転労働を無理強いしたりするのではなく、これらを個人のもつ特性の違いとして相互に尊重し合うことを通じて、これを満たす交通政策や土地政策を、社会成員ひとりひとりの自覚にもとづく合意形成によって成就できるように方向づけることで、クルマの利用に一面的に依存せずに済むコミュニティ生成を導く」(「スローライフ交通教育の会」会報誌「交通教育研究」No.7 2006年所収)

7)「市場が肥大化した消費資本主義では多数の消費者の存在が必要不可欠である。そして、彼らの消費意欲を無限に拡大していくことを企業は求め続ける。「 皆免許社会」とでも言えるようなクルマ社会の確立は、クルマ企業が追い求めてきたものである。誰もが自動車免許を持ち、「カッコイイ」クルマを持ち運転する。そのような感情を抱かせるために、クルマ企業は消費資本主義の根本原理とも言える(消費)欲望の拡大に全力を挙げてきているのである。そんな中、道 徳主義的なクルマ社会批判は残念ながら、若者の中で醸成されてきているクルマへの欲望を抑止することはできない。」(同「交通教育研究」No.52004年)

8)山本純氏は『18歳からの教養ゼミナール』(家田愛子編著、北 樹出版、2005年)の12章「クル マ社会を考える」で、現代の教養としてクルマ問題を取り上げる必要を具体的に述べている。※本稿の内容は、2007年7月の交通権学会研究大会での発表に基づいている。

(会報『クルマ社会を問い直す』 第50号(2008年1月))

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