杉田正明
韓国ソウル市を訪れました。取材不足の状態ですが、ソウル市の清渓川復元事業について紹介し、一言コメントします。
ソウル市の中心部に東西に流れる清渓川という川があります。ここは主に1950~1960年代に覆蓋工事(川にコンクリートの蓋をする)が進められ、上部は道路として、下部は河川として使われてきました。土地を買収せずに道路整備が出来たことが覆蓋の最大の理由だったようですが、ソウルの人口増大とともに清渓川への汚水の流入が増え“下水路化”が進んだことも覆蓋が進められた理由だったようです。
上部の道路は、地上平面の道路に加えて、1971年にはソウル市内で2つめの高架道路として片側2車線の高架道路(延長5.8km、幅員16m)も建設され、都心部の幹線交通路の一つとして利用されてきました(工事前の平面道路交通量6.6万台/日、高架道路交通量10.3万台/日)。
この清渓川について、高架道路を撤去し、暗渠化した平面道路も撤去して、河川を親水空間および洪水対策空間として再生整備したのが、清渓川復元事業です。
工事は2003年3月から2005年9月にかけて行われました。事業区間は約5.8km、総工費は約470億円だそうです。
清渓川へは、漢江から引いた水や下水処理水を浄化して流すとともに、地下鉄駅などで発生する地下水を流しているそうです。ただし従来流れ込んでいた汚水については河川の下に下水道を整備して対応したと推測しますが、確認できていません。
この事業によって平面道路は、改めて、中央の河川部分の両側に片側2車線ずつ整備されました。ただし車線は大きく減らされたようです。一方高架道路部分については代替する道路の整備は行われていません。この高架道路の交通がどうなったか、また平面部の減らされた車線の交通がどうなったか興味深いのですが、取材できていません。周辺の道路、あるいは人流については地下鉄やバスにも分散したと推測しますが確認できていません。
事業実施に際しては、この沿線で営業していた多数の露天商が強く反対したそうです。ソウル市は彼らの受け皿・移転先として、沿線に存在する東大門運動場を開放しました。
またこうした事業が行われた契機として、覆蓋施設・高架道路の老朽化が進んだこともあるそうです。
事業の簡単な紹介は以上です。
さて、都市景観を改善し大気汚染を緩和するために、都心部を走る高架道路を地下に移し、高架撤去後の土地を公園として利用した事例はアメリカのボストンにあります。しかし清渓川復元事業のように、高架道路の代替の道路を設けないという例は多分世界のどこにもまだ無いのではないかと推測します(未確認です)。ソウル市のこの事業は先進的なものと思います。
片方でこうした模範的事例を生んだソウルですが、旅人として街を歩くと腹立たしいことに少なからず出くわします。道路を渡るのに平面で渡ることが出来ずに横断地下道しか使えないところが少なくありません。おそらく日本をそのまままねて地下道を造ったのでしょう。地上平面での横断を認めるべきです。
またソウルでは地下鉄のネットワーク整備が大きく進みました。路線図が提示されどこに行くかわかりやすい地下鉄は、旅行者にとっては大変便利です。しかし、私が歩いた範囲では、どこへ行っても改札階とプラットホームの間のエレベーターはあっても、改札階と地上を結ぶエスカレーターやエレベーターはありませんでした。腰の曲がったおばあさんが、一歩一歩時間をかけて上るのを見ましたが、痛ましく感じました。ソウルは今も新たな地下鉄路線の建設を進めています。しかしこれまでと同様な昇降設備の整備で終わることが懸念されます。
韓国は高架道路の撤去で世界に先駆けました。高齢者の仲間入りした私は既に横断地下道、地下鉄の利用が苦痛になり始めています。世界共通の大きな課題です。日本はこうした分野で先駆けたいものです。
(会報『クルマ社会を問い直す』 第46号(2007年1月))