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道路および高速道路をどうするか

投稿日:2010年1月23日 更新日:

清水真哉

道路が引き起こす問題

 ここ十数年、道路について多く議論されてきました。家にたまった本を見て驚きましたが、道路をテーマにこんなに多くの本が書かれ、私も読んできたのです。道路公団民営化、自動車税の暫定税率廃止、道路特定財源の一般財源化、そして政権交替の後、民主党の高速道路無料化と論点は動いてきました。新規の道路建設の費用対効果が問われるようになり、そして今、「もう道路は要らない」という声が徐々に聞こえ始めています。
 道路があり過ぎることが結果として人々に苦痛を生む、道路の過剰整備と呼ぶべき状況が生じているのだと思います。モータリゼーションの行き過ぎにより、もっとも苦痛を受けている人たちのことを考えなくてはなりません。
 杉田聡著『買物難民 もうひとつの高齢者問題』は、当会の創立者である著者が、『人にとってクルマとは何か』『野蛮なクルマ社会』『クルマが優しくなるために』など主として交通事故の問題を取り上げた一連の著作に続けて自動車社会に向けて放った第二の衝撃波です。杉田聡氏の著作が根源的な影響力があるのは、常に最も痛みを受けている人の視点から物を考えているからです。
 ここに報告されているのは地域社会の崩壊の図であり、高齢者たちが陥っている生活実態は、強過ぎる表現に思えるかも知れませんが、現代の地獄絵とも言い得ます。周りの人々が専(もっぱ)ら動力付きの車輪で行動する中で、自らの足だけを頼りに生きなくてはならないということは、どれだけの苦難でありましょうか。地域の商店街の消滅とは、単に商店を営む人たちにとっての問題ではないのです。
 郊外の荒廃は、三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』も別の角度から描き出しています。「ファスト風土」という造語はあまりいただけませんが、郊外というクルマ中心社会の問題に注意を向けさせた意義は大きいと思います。
 道路整備が生むマイナスの効果については、議論がもう一段先に進んできています。服部圭郎著『道路整備事業の大罪 道路は地方を救えない』では、道路が引き起こしている弊害がさらに多角的に記述されています。
 道路時代の終わりが始まっています。私達は自分たちがどのような空間に暮らしていくのが良いのかを、一から考え始めなくてはなりません。

道路はもう造ってはならない

 ここ数年、小泉政権によって行われた道路公団民営化と、今年度からの道路特定財源の一般財源化の結果、分かったことがあります。それは、道路公団を民営化しようが、道路特定財源を一般財源化しようが、道路建設を止めない限り大した意味はないということです。
 道路はもう造る必要はない、まずはここが出発点でなくてはなりません。道路はもはや一メートルたりとも伸ばさない、一センチたりとも拡げない、これを国民の共通理解にする必要があります。高速道路についても、一般道についても同じです。都市計画という名の道路拡幅も一切止めなくてはなりません。
 自動車の利用を少しでも減らさなくてはならない今の時代、もはや道路容量を増大させる理由などどこにも存在しません。自動車に乗る人が減っていけば、今ある道路でも十分快適にやっていけるでしょう。渋滞などその典型で、何人かがクルマを降りれば問題そのものが解消するのです。
 道路は広ければ良いというものではありません。歩道も広げれば歩行者に歓迎されると思っているのかも知れませんが、それは違います。歩行者が横断しなくてはならないのは、車道と歩道の合計の距離なのです。自動車が多く通るということは周辺に駐車場も多いということです。ゆったり広々とは、歩行者にとっては密度が低く、移動距離の無駄に多い、効率の悪い町ということです。
 道路建設に際してのコスト・ベネフィットの計算など、科学性を装ってはいますが、相当に恣意的なものです。これまで道路の便益の計算の中に、広くなり過ぎた道路を横断しなくてはならない歩行者の苦痛や、近所の店がなくなることによる不利益が勘定されたことがあったでしょうか。
 これから原油価格は確実に上昇していきます。燃料の価格が今の二倍、三倍、五倍となった時の道路交通需要というものを、国土交通省は計算したことがあるのでしょうか。
 民主党について高速道路無料化政策が批判されていますが、本当は道路建設を抑制しようとしてはいるものの、完全に止めようとはしていないことの方が、より問題であります。
 公共事業が果てしなく続くのは役人ほか関係者の利権、地方の雇用対策のためですが、いつまでも失業対策として土木工事をされては日本の国土の自然は堪りません。
 新規の道路建設を止めることが出来れば、道路問題はもはや日本の国家にとってさほど深刻なものではなくなると思われます。
 この問題については問い直す会として更に議論できればよいと考えています。日本中どこでももう道路を造ってはならないという私の考えが間違っていると思われる方、この道路はまだどうしても必要だという道路がありましたら筆者までお知らせ下さい。

今ある道路をどう使うか

 新規の道路建設を完全に停止すれば、残る問題は、税制及び料金制度を含めて今ある道路をどう使うのかということだけになります。
 三つのことを念頭に置く必要があります。

  1. 自動車を無駄に使わせない。
  2. 高速道路と一般道を適切に使い分ける。
  3. 限られた道路空間を誰がどのように使うのかを一から考え直す。

自動車関連の税制

 道路特定財源は表向きは一般財源化されました。しかし道路関係への支出は大して減っていないのが実態です。道路の建設を止め、自動車からの税収が道路以外の目的にもっぱら使われるようになって初めて本物の一般財源化になるのです。
 では次に暫定税率はどうすべきでしょうか。民主党は自民党よりは道路建設に対して抑制的でしょう。となると暫定税率を廃止して欲しいという圧力に、より屈し易いということになります。
 民主党はとにかく、国民に対しても、国際社会に対しても、受けの良い、格好の良いことばかり無責任に言い続けています。暫定税率の廃止と二酸化炭素の排出量25%削減もそうです。暫定税率を廃止してから炭素税を導入すると言いますが、暫定税率があってさえ今の排出量なのです。暫定税率を炭素税で置き換えるだけで、どうして二酸化炭素排出量の削減が期待できるのでしょうか。暫定税率を残し、更にその上に炭素税を乗せなくてはなりません。
 暫定税率を環境税に衣替えといったことが簡単に口にされますが、そもそも自動車燃料税と炭素税は同じ性質のものでしょうか。ここでまず、石油石炭や天然ガスなどの化石燃料に課す炭素税と、ガソリン税や軽油税という個別の石油製品に課す税、および自動車取得税や自動車重量税の役割について考えてみたいと思います。
 石油、石炭、天然ガスに炭素税を課す理由は、二酸化炭素の排出による地球温暖化を防ぐことがまず第一の目的ですが、いずれ枯渇する資源の浪費を抑えること、海外の資源に依存し過ぎないようにするということも重要なことだと思います。原料の段階である化石燃料に課税する炭素税は、自動車燃料だけでなく、電気代やガス代など日常生活全般に影響が及び、逆進性が強いという性格があります。にもかかわらず、問題点を他の社会政策などで補いながらでも、炭素税は高額にするべきです。それは二酸化炭素の排出量を減らすという国際的な責任を果たすためでもあり、化石燃料を自国でほとんど産出しない日本の国家としての戦略でもあります。
 では炭素税を課した後になお、個別の石油製品であるガソリンや軽油に税を課す根拠、自動車取得税や自動車重量税の課税根拠は何でしょうか。
 まず信号や標識、舗装など一般道路の維持管理に要する費用、交通違反の取り締まりなど交通警察に要する費用など、道路交通が直接に必要とする費用の財源として課税されなくてはなりません。
 さらに交通事故による生命身体の毀損、大気汚染や騒音による地域住民への健康影響や、自家用車の利用により公共交通が劣化する影響を考慮して、自動車利用を抑制するために適切な額の課税をする必要があります。その税収は公共交通の維持整備に優先的に充てられるべきです。
 自動車関連税をどの程度課税するかは、炭素税の税率にもよりますが、暫定税率を本則税率にするにとどまらず、自動車利用者が自動車の利用を控えようとする強い動機を持つに十分な額にまで引き上げる必要があると考えます。

高速料金をどうするか

1) 無料開放でなく無期限有料

 民主党の高速道路無料化政策に対して、環境政策との整合性のなさばかりが指摘されますが、それ以前に、無料化が道路政策として合理的であるのかをもっと問う必要があります。民主党の無料化政策以前に、将来的に道路建設の借り入れの返済が終わったら無料開放するという当初からの国の原則自体に問題があるのです。
 無料になれば保守管理費用、将来の更新費用を税金で賄うことになりますが、あくまでも利用者が全て負担すべきであり、税金を投入すべきではありません。高速を利用していない人も物流などを通じて間接的に恩恵を受けているとして税金の投入を正当化する議論がありますが、物流コストは最終的な商品価格の中で負担している訳ですから、更に税負担までさせられたら不当な二重払いとなります。
 一般道と高速の適切な使い分けという点からも、高速料金という誘導策を失ってしまえば、渋滞のため高速で走れない高速道路があちこちに生じてくるでしょう。
 道路は無料が原則という主張もありますが、ドイツでもトラックには高速料金の課金が始まっていますし、ロンドンでは一般道を有料にするロードプライシング政策が採られています。
 高速道路は、未来永劫、料金収入で運営するという原則を明確にするべきです。
 なお無期限有料の道路のネットワークには、一般有料道路で無料開放された路線や新直轄方式で造られ無料である路線も全て組み込まなくてはなりません。

2) 高速道路は国の収益事業とし、収益は国庫に収める

 そもそも、これだけ国の財政が厳しい中で、国として多額の収益を上げられる高速道路という優良資産を、なにゆえ無料で使わせなくてはならないのでしょうか。
 高速道路は有料制を期限なく継続するべきです。新規の道路建設はもうしませんが、かと言ってその分、高速の料金を下げることもしません。料金収入は国庫に収めさせ、国の貴重な財源とするのです。高速道路は国の収益事業として最大限の利潤を上げることを目的とします。
 運営形態としては直接の国営なのか、民営会社の形を採るべきかということは検討する必要があるかもしれません。
 なお高速道路で利益を上げることよりも、自動車利用を抑制することの方が上位の政策目標であるので、例えばトラック輸送を止めて鉄道貨物輸送に切り替える事業者が出ることは歓迎です。

3) 全国一律料金は止め、地域ごとの需要に合わせる

 高速道路料金の問題にはもう一つ、全国一律料金というものがあります。一般道が混雑していて高速利用の価値が高いところも、一般道に余裕のあるところも同じ料金設定では高速の利用度合いに差が出るのは当然で、地域別に、下の道の混み具合と周辺の公共交通機関の利用度合を勘案して、料金を定めるべきです。過疎地の路線でがらがらの所は、利潤が最大になるまで料金を下げるのが適当です。
 この観点から料金を検討した場合、採算割れするほど料金を引き下げなくてはならない高速は、そもそも建設することが間違いであったということです。

今ある道路をまちづくりに活かす

 道路は、歩行者、自転車、バスや路面電車などの公共交通機関、自家用車などの移動のための空間としてだけでなく、広場と同じような公共空間としても、その持つ役割を考えていかなくてはなりません。
 地球温暖化対策も、自動車に関連してはエコカーへの乗り換えばかりが語られますが、抜本的には車の要らない町づくりによってなされるべきです。
 まずは車線を削減したいものです。そしてクルマを減らします。
 空いたスペースには自転車道を設けても良し、路面電車を導入しても良し。並木を作り、木陰でフリーマーケットを開くことも出来るでしょう。
 裏通りには自動車を通行はさせても、走らせてはなりません。そこは井戸端会議の場であり、親子が遊ぶ空間です。
 私達は江戸時代の町作りをあらためて考え直した上で、これからの自分たちの生活空間を設計していくべきです。

<参考文献>

  • 宮川公男『高速道路 何が問題か』岩波ブックレット 2004年
  • 上岡直見『市民のための道路学』緑風出版 2004年
  • 三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』洋泉社新書 2004年9月
  • 上岡直見『脱・道路の時代』コモンズ 2007年10月
  • 山崎養世『道路問題を解く』ダイヤモンド社 2008年3月
  • 杉田聡『買物難民 もうひとつの高齢者問題』大月書店 2008年9月
  • 五十嵐敬喜・小川明雄著『道路をどうするか』岩波新書 2008年12月
  • 「世界 2009年8月号 特集 道路が暮らしを食い尽くす 「一般財源化」は偽りだった」
  • 服部圭郎『道路整備事業の大罪 道路は地方を救えない』洋泉社新書 2009年8月

(会報『クルマ社会を問い直す』 第58号(2010年1月))

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