「子どもが幸せに育つまち:サドルの上から見た交通」(2024年4月20日) の講演に続いて行われた対談会のうち、テーマ1「自転車×子ども」の前半です。
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A. Stop de kindermoord(子どもを殺すな)運動
岡田さん オランダの交通社会が人中心に舵を切るきっかけとなったStop de kindermoord(子どもを殺すな)運動、これで連想するのが、性被害対策を訴えるスローガン「One is too many.」です。毎日のように子どもが交通において傷ついている現状についても、私たちは「一人でも多すぎる」と言っていかなければいけません。ところが行政は、横断歩道での被害防止啓発として、子どもに「止まってくれてありがとう(=殺さないでくれてありがとう)」と言わせてしまっています。子どもが自分の命を守るために頭を下げるなんてあってはならないこと、子どもを大人が守るのはあたりまえ、そういうことをこれからも訴え続けます。
(C) Nationaal Archief
宮田さん 「Stop de kindermoord」運動は、1970年代のオランダで交通死する子どもが年間400人以上にもなったことを受け、市民が行政に対して起こした抗議活動です。これがきっかけで、都市レベルから自転車利用環境の整備が進むようになり、大きな成果をあげてきました。
B. 交通安全教育=自衛教育?
岡田さん 車に気をつけて、飛び出さないで、といったことは私も子どもに何度も繰り返し伝えますが、言い続ければ子どもがそれを守れるかというと、そんなことはありません。目の前にあるものにしか注意が向かない、子どもとはそういうもので、それは尊重すべき特性です。そうした特性を考慮せずに道路がデザインされていることこそが問題との認識が、オランダなどの国々では共有されているようですね。
この横断幕、似たようなものがあちこちにあると思いますが、こんなことを言わないと子どもが死んでしまう道路こそが危険だということを言っていきたいです。
宮田さん 3月に「しんぶん赤旗」に記事を連載させていただきまして、「横断歩道とは車が奪った歩行の自由を『ちょっとだけ返還する』場所だ」と書きました。徒歩の人に横断歩道まで遠回りを強い、さらにそこでドライバーに「渡らせてあげた」と思わせるようなお辞儀教育にはいびつなものを感じます。
スケアード・ストレート も、弱い立場であることへの嫌悪感を植え付けるなどいくつもの問題があります。元々の由来である、服役囚に「こうなりたいか」などと子どもを脅させるアメリカの非行防止手法も、自分は脅される側にはなりたくないと子どもが思うなど、効果がない(むしろ逆効果である)ことを多くの研究が示しています。それに対して、ヨーロッパの交通安全教育では、アクティブ交通を選択することの重要性を伝えるところが増えてきています。
C. 教育全体に通底する問題
岡田さん 日本の教育に通底する問題として
- 既存のシステムやルールに(それが理不尽で非合理的でも)従順であることをよしとする
- 自分たちでルールが変えられること、変えるための方法を教えない(自己効力感が育たない)
- 子どもとしての「権利」を伝えない
というものがあります。とくに権利について、子どもの権利条約の四原則のひとつ「生命、生存及び発達に対する権利=命を守られ成長できること」が教えられず、それどころか「権利は義務を果たさないと得られないよ」などと言ってしまっています。
D. 子どもの周りの世界
岡田さん ユニセフによる子どもの幸福度ランキングでは、子どもが安全に移動できることが指標のひとつになっています。
宮田さん 包括的な幸福度のランク付けは過去3回実施され、いずれもオランダがトップです。その要因のひとつとして、小学校の頃から自転
車で、親に付き添われなくとも自由に出かけられる交通環境がしばしば指摘されていますね。
[注釈]
スケアード・ストレート:
「恐怖を直視させる」という意味でスタントマンが受講者の目の前で交通事故を再現することにより、交通事故の衝撃や怖さを実感させ交通ルールの必要性について受講者自身に考える機会を与えるという教育技法
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テーマ1「自転車 × 子ども」