青木仁さん講演会「クルマのいらない町づくり」 報告
清水真哉
昨年(2005年)11月13日、「クルマ社会を問い直す会」では、『快適都市空間をつくる』(中公新書)および『日本型魅惑都市をつくる』(日本経済新聞社)の著者である都市計画の専門家、青木仁さんの講演会を開催いたしました(於:東京都江東区亀戸カメリアホール)。参加者は三十数名でした。
日本の近代の街づくりは道路を拡げることを一つの課題としてきました。建物は4m以上の幅員の道に接していなくてはならないという最低のノルマが課せられましたが、その名目は延焼の防止と消防車が進入できるという防災を主たる目的としたものでした。防災という錦の御旗を立てられると誰もが納得してしまいますが、全ての道が4m以上の道幅を持つということは、全ての道で自動車が走行可能になるということです。
災害に対する安全性は高まるかも知れないとはいえ、自動車による危険性が新たに発生しているのに、その点に着目されることはあまりありません。狭くてクルマが通れない道の持つ価値は、クルマ社会を問い直す立場からは捨ておけないものですが、これまで積極的に意義付けてきたとは言えません。青木仁さんは、防災のためには道路の拡幅を絶対とする考えを疑問視し、細街路を活かすことを提唱しています。そこで青木仁さんにこうした問題について詳細に語って頂くことに致しました。
青木さんは講演で、図表や写真を多用して分かりやすくお話下さいました。一時間半に及ぶ講演の後、休憩を挟んで質疑応答にも一時間近く割いて下さいました。更に懇親会もお付き合い下さり、話を深めることができました。会としてあらためて感謝申し上げる次第です。
会員の皆さんにも、青木さんの議論を参考に、身近な町の道のあり方についてお考え頂ければ、主催者としては目的を果たせたことになるのではと考えています。
ところで青木さんは、中央区の御自宅から江東区亀戸の会場まで一時間以上掛かる道のりを徒歩でお越こしになり、帰りも歩いて帰られました。クルマは乗らず、専ら徒歩と自転車とのことで、下北沢くらいなら自転車で出掛けていくそうです。
[講演要旨]
国は多額の税金を投じて都市整備を行ってきたが、日本の街は必ずしも魅力的なものにならなかった。昔はヒトのための空間だった道路のほとんどがクルマのための空間となってしまった。地方都市は今や成人一人に一台マイカーがないと暮らせない。クルマのために道を作り、それに沿って街を作るため、クルマ依存の低密度の街となっている。都市自体を歩行者中心のコンパクトなものに変えていかなくてはならないが、そのためには人々の意識を変えていく必要がある。
20世紀の日本の街づくりは一言で定義すれば、車のための改造だった。日本的な町並みは遅れたものとして否定され、クルマが通れる広い道を造り、そこに沿って高層の建物を建て、欧米型の壮大な町並みを造ることが目標とされた。文明が進めばみなクルマに乗って移動し、道を歩く人などいなくなるはず、と思われていた。その結果として、クルマ優先のおかしな道が散見されるようになった。例えば歩道橋の脚は当然のように歩道に置かれているが、これは本来、車の都合で作られたものだから車道に置かれるべきである。新宿西口は20世紀の都市デザインの金字塔として評価されているが、ここでは自動車のために偏重して空間が配分されている。
パリでは渋滞はひどいが、ナポレオン三世以来、街は変えておらず、クルマが増えても道を拡げようとはしていない。クルマが入らない街は魅力的である。裏原宿は通過交通が入ってこないため、オープンカフェなどを設けることができる。アーケードは最近、屋根が閉塞感を生んでいるとして評判が悪いが、クルマが入って来ない点は良い。路地には人間的な感覚があり、カルチェ・ラタンやブリュッセルも狭い路地が魅力なのである。
しかし20世紀の日本では、西洋に倣って、道は広く、敷地は広く、建物は大きくすることが理想とされた。小規模な敷地は劣ったものとされたが、公平な資産配分のためには小規模化は止むを得なかったのであり、マンションなどはもっと細かい資産配分である。敷地の広い町は肌理の粗い町であり、細い道に間口の狭い店が沢山ある方が町の魅力は高まる。銀座の魅力は間口の狭い建物が多いことである。道は狭く、敷地は小さく、建物は小さいのが日本型魅惑都市である。
かつての九尺(2.7m)道路に代わり、昭和13年の防空都市計画から4mの道幅が定められ、昭和25年の建築基準法でも4m道路が踏襲された。しかし防災のためとされる4m道路は本当に必須なのであろうか。神戸の震災では関東大震災とは異なり焼死した人は少なく、家具の転倒や建物の崩壊によって亡くなった人が多い。神戸は戦災からの復興の過程で道幅はそもそも広かった。つまり建物の耐震性が重要で、道路の意義は二次的である。昔は建物の耐震性を高めることには限界があったから、道を広げて延焼を防ぐという方法しか取れなかったのである。震災の際の消火は消防車よりも耐震の地下貯水槽による消火の方が重要である。大阪の法善寺横丁では、特例として道が4mないのに建物の建て替えが認められたが、この意義は大きい。
道路を拡げると職業ドライバーの休憩のための駐車場となりアイドリングで環境が悪化する。道路を拡げることはアスファルト面積を増やすことである。道路は緑化するのがよい。狭い道路にも樹を植えてしまって良い。狭い道にも電柱が立っているのだから、木を植えてもよいはずである。
何のために道路が必要かと問うと、都市環境の向上のためと言われる。道路がないから町が廃れると言われるが、本当は道を作ると町が廃れることがある。道路整備によって日本固有の町並みが失われてしまった。
車のための道路空間から人のための道路空間へ変えていく必要がある。どんな狭い道でもクルマが中心で、広い道になって初めて歩道ができるから、道は広い方がいいと皆思ってしまう。だが本来、狭い道は人を優先にするべきなのである。駅前広場などクルマのための広場になっているが、人のための広場にするべきである。アイランドはクルマの回転半径のためにあるが、駅前で回転させることを止めさせれば必要なくなる。
(会報『クルマ社会を問い直す』 第43号(2006年4月))