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「歩行者と自転車の道の革命 車道至上主義から道路交通文化の時代へ 」で伝えたいこと(その2)

投稿日:2011年3月3日 更新日:

津田美知子

「コミュニティ道路」ならばクランク式

 前稿で、欧州では区画道路においても幹線道路においても、「クルマ優位」ではないという道路整備が誰の目にも見える形で進んでおり、そうした道路空間のハード面のサイン性が、ソフト面の信頼関係を喚起し、「道路交通文化」を醸成してきたのではないかと述べた。本稿では日本のあるべき方向性について考えたい。
 国土交通省は区画道路対策として「コミュニティ道路」や「歩車共存道路」をやっていますと胸を張る。「コミュニティ道路」は歩道を設置するタイプのもので、主に次の2つの形態がある。
 一つはスラローム式であり、写真1のように車道を蛇行させるものである。ところが、実際にクルマを蛇行させるためにはスラロームのシフト幅を大きくする必要があるが、道路幅員がよほど広くなければ不可能である。この事例程度の場合、クルマは真っ直ぐに走ることができるので、速度抑制効果は低い。さらに、車道は一定の幅なので、クルマが歩道に乗り上げて駐車しやすい。歩道の幅員が広くなったり狭くなったりすること自体、歩行者の多様性の観点からは望ましくないが、歩道に駐車されると歩行者は歩道を通行できなくなる。

写真1 スラローム式「コミュニティ道路」

 もう一つはクランク式であり、写真2のように歩道と車道を直線的に設置し、車道の中にフォルトと呼ばれる植栽などを互い違いに配置するものである。前方にフォルトがあるので、クルマは蛇行せざるを得ない。速度抑制に効果的であるばかりでなく、駐車しようとするクルマはフォルトを死角にするようにその前後で行うので、歩道は侵されにくい。

写真2 クランク式「コミュニティ道路」

 スラローム式は「クルマの蛇行=車道の蛇行」といった単純な発想で日本で考案されたものであるが、「歩道を侵す」結果になりやすい。クランク式は「車道を侵す」手法であり、ボンエルフの手法に沿ったものである。「コミュニティ道路」の整備が進んでいる大阪市や名古屋市ではこのクランク式が基本である。
 また、「歩車共存道路」は歩道を設置しないタイプであるが、狭い道路にスラローム式やクランク式を圧縮して整備する結果になる。そこで犠牲になるのは「歩行者の道」であり、歩行者は障害物を避け、駐車するクルマを避け、走るクルマを避けながら歩くことになる。このような「歩車共存道路」とスラローム式「コミュニティ道路」はお蔵入りすべきである。

コミュニティ道路普及の限界とハンプ

 「コミュニティ道路」などの現在の整備実績について国土交通省は把握していないというが、以前、入手した資料では、導入時から98年度末までの18年間に全国で1,158か所であり、年平均では64か所となる。1か所の延長距離は街区の1辺、100~150m程度であるから、総延長はごくわずかである。
 このような区画道路対策は面的に行うべきだということで「あんしん歩行エリア」、「くらしのみちゾーン」などの事業が実施されているが、これらの08年度末の地区指定は計638地区、全国人口約19万人に対して1地区の割合であり、1地区は1~1.5平方km程度と狭い。欧州のように、全ての区画道路に網をかけるのではなく、全くのピンポイントである。欧州の施策を「つまみ食い」する「アリバイ行政」が日本の行政の常套手段であり、それ故に一点豪華主義に陥りやすい。
 しかし、「コミュニティ道路」の普及には大きな限界がある。機能しうるクランク式「コミュニティ道路」を整備するには、図1に示すように道路幅員が8m以上必要である。しかし、区画道路が絶対多数を占める市町村道の道路幅員は平均5.1mと狭い。平均ではなく、幅員別の統計が欲しいところであるが、道路延長にのみ関心を持ってきた国土交通省はそうした統計を把握していない。道路行政は科学とは無縁であったことを端的に表している。ともあれ、この平均幅員では8m以上の道路はごくわずかであり、「コミュニティ道路」の普及には大きな限界があることは容易に推測できる。

図1 クランク式「コミュニティ道路」のデザイン案

 それならばハンプを導入したらよいではないかという考え方もあるだろう。03年の『道路構造令』の改正により、クルマの減速のために「車道及びこれに接続する路肩の路面に凸部を設置し」などという項が加えられた。凸部とはハンプのことであり、それを路側帯にも設置すべきだという。当局には「歩行者の道」が視野に入っていない。
 仮に路側帯を除いたとしても、ハンプによるアップダウンは不快であり、病人や妊婦、乳幼児がクルマで移動する場合はどうだろう。横暴なクルマに対する物理的措置の不利益を、脆弱な者までが負うというのはどうも納得できない。また、ハンプは騒音や振動をもたらすので、狭い道路に軒を連ねる日本の住宅地にはなじみにくい。
 しかし、区画道路の交差点、あるいは一般部の真ん中に、クルマの両輪が跨いで通過できるぐらいの大きさの盛り上がりを設けるのはどうだろう。これならば不快感や騒音の問題はない。写真3は道路の改修工事中に見かけた浮き上がったマンホールの蓋であるが、クルマは確実に減速し、ハンプのように機能していた。このようなものに何らかの色づけをすればよい。

写真3 道路工事中の盛り上がったマンホールの蓋

車道を狭めた「ソフト分離」の有効性

 狭い道路の多い日本の区画道路において、速度抑制を図る一般解とすべきだと考えるのは「ソフト分離」である。地域によって路側帯を緑色や小豆色で色づけした道路を見かけるが、これをより効果的にした「ソフト分離」を提唱したい。
 写真4、5は、私が関わった岐阜県多治見市における一方通行の市道の「ソフト分離」の例である。この第1の特徴は、路側帯をできる限り広く確保するため、車道幅員を2.75mと狭くしたことである。従来は路側帯に0.5~0.75m取り、その残りを全て車道にするのが一般的であったことからすると画期的であり、車道:路側帯の逆転の発想といってよい。車道を狭くすればするほど、速度抑制効果があるといってよい。

写真4 中心市街地の「ソフト分離」

写真5 広げられた平坦な路側帯

 第2の特徴は、雨水が浸透する排水性舗装とすることにより、車いすなどの進行を妨げる横断勾配を最小限に抑えるとともに、路側帯に設置される側溝を蓋付きのU字溝とし、路側帯を最大限に広く利用できるようにしたことである。「車道至上主義」の道路行政にとって路側帯は車道の余り物扱いであるから、歩行者にとって多くの問題が発生していた。これを歩行者の観点から平坦にしたわけである。ちなみに、この区域では電柱なども民地の敷地を借りて設置されている。
 また、写真6は対面通行道路の「ソフト分離」である。愛知県警はセンターラインをなくして車道幅員を狭くする取組みを進め、事故を半減ないし1/3に減らすなどの効果をあげてきた。これはそれにならったものである。この事例の車道幅員は5mであるが、愛知県警の例では4.5mというものもあり、それで十分だと考えられる。

写真6 センターラインのない対面通行道路の「ソフト分離」

 こうした「ソフト分離」道路は7路線であるが、駅前商店街や市役所を含む中心市街地の主要ルートがほぼ網羅されているといってよい。ここでは、車道には透水性アスファルト、路側帯には自然な石の色が出やすい透水性脱色アスファルトを使っており、落ち着いた色合いで、歩行者に優しい静穏化道路という雰囲気が出ている。市民に評価されたからであろう、計画段階では明記されていなかったタイルのカラー舗装だった中心商店街もこの方式で整備され、一方通行の県道も同様な形で整備された。
 従来の「コミュニティ道路」などよりもこの舗装方法の方が遥かに安価であるが、緑色などで色づけすれば、それ以上に安価である。「ソフト分離」を区画道路対策の一般解とすべきだと考える理由の一つはこのコスト面であるが、もう一つの理由は多様な道路幅員に対応できることである。
 図2は道路幅員別の「ソフト分離」のデザイン案であり、路側帯を1.5m以上確保することを前提とし、道路全体の幅員が狭い場合は車道の幅員を2mまで狭くすることを提案している。「ソフト分離」は融通性のある分離なので、車道を狭くしてもクルマが通行できなくなるわけではないし、「小型自動車等」(救急車などに用いられる車両サイズ)についても緊急時に新たに不都合が生じるということはない。また、図3は対面通行の場合であり、この場合も路側帯を1.5m以上とし、車道幅員は4.5mに抑えているが、道路幅員は7.5m以上必要である。それより狭い場合は一方通行とすることが望ましい。

図2 道路幅員別「ソフト分離」のデザイン案

自転車の歩道通行の危険は巻き込み部にある

 次に、自転車のあり方について考えてみたい。図4は人対自転車の類型別事故件数の推移を表したものである。この事故件数は氷山の一角であると思うが、傾向は読み取れるであろう。全体的に増加傾向であるが、「歩道上通行」の事故件数の増加が著しい。それ以上に「その他」の増加が顕著であるが、これは何か。

図4 人対自転車の事故類型別件数の推移

 写真7のような歩道の一般部において歩行者と自転車がぶつかった場合は「歩道上通行」の事故となる。一方、写真8のような交差点巻き込み部(交差点すみ切り部の歩道部分)では、横断前後の自転車や歩行者の動線が複雑に交錯する。また、写真9のように建物寄りを見通しを気にせず曲がって走る自転車が多い。「ぶつかりそうになればブレーキをかければよい」という安易な考えがあるようであるが、歩行者はこの巻き込み部において一番危険を感じているのではないか。

写真7 歩行者の多い歩道における自転車

写真8 交差点部巻き込み部における動線の交錯

写真9 巻き込み部の見通しを気にしないで走る自転車

 これらは確かに歩道上であるが、「歩道上通行」の事故とはならず、「その他」に分類されている。これは『交通統計』を発行している交通事故総合分析センターに何度か問い合わせて確認した結果であり、自転車の歩道通行という特異な通行法に関わる事故を、歩行者対クルマの事故の類型でしか統計を取っていないので、実態が隠されてしまっている。巻き込み部の事故が「その他」の全てではないまでも、多くを占めるであろう。歩道通行する自転車が増えるに従い、巻き込み部の事故が急増したと考えて間違いはないであろう。

「カラー分離」の欺瞞性

 歩道において自転車が歩行者を脅かしているということで、歩道(歩行者自転車道)を歩行者の通行部分と自転車の通行部分に分離する事業が進められている。私はこれを「カラー分離」と呼んでいる。写真10、11はそのような例であるが、区分された自転車通行部分は、交差点部やバス停で途切れ途切れとなり、利用しにくい。格好の駐輪スペースとなり、狭められた歩行者の通行部分を歩行者と自転車が通行するというのが実情である。

写真10 「カラー分離」における途切れ途切れの自転車通行部分

写真11 機能しない「カラー分離」の巻き込み部

 さらに、「カラー分離」は一般部を分離しようとするだけで、最も危険な巻き込み部の分離については責任を放棄している。この欺瞞性を図5で考察したい。一般部において分離された自転車通行部分を自転車は対面通行することとされているが、この幅員が広くなければ機能しない。しかし、ここでは自転車はそこを通行してくれると仮定しよう。また、横断部では横断歩道とともに自転車横断帯が設置されており、自転車はそこを対面通行することとされている。そのルールも守られるとしよう。

図5 「カラー分離」による動線の交錯

 問題はそれを繋ぐルートであり、横断した自転車が一般部の自転車通行部分へ行く動線、逆の動線が、歩行者の同様な動線と複雑にクロスする。現状ではゆるゆると動線を選んでクロスをなるべく避けるという工夫の余地があるが、ルールを守り、狭い所から狭い所へ進むとすれば、途中の動線は制約されるので、いっそう危険である。つまり、「カラー分離」は論理的に破綻している。この問題が顕在化しないのは「ソフト分離」も自転車横断帯も機能していないからである。
 情けないことに、国土交通省において「ソフト分離」は「自転車のみの通行路が確保されている」道路として扱われている。欧州に比べて自転車道整備が遅れているということで、08年に「自転車通行環境整備のモデル地区」を指定したが、HPで公開されている整備計画では「ソフト分離」の整備延長は129kmであり、「自転車道」74km、「自転車レーン」40kmを大きく上回る。使い物にならないものに事業費だけがつぎ込まれているわけである。

まっとうな「自転車レーン」の普及を

 それでは「自転車道」ならばよいかといえば、全くの期待はずれである。日本式「自転車道」は対面通行であり、『道路構造令』の最低基準である2mの幅員で整備されることが多いので、自転車同士がすれ違うには無理がある。名古屋市には以前から何本かの自転車道があったが、利用されていなかった。にもかかわらず、国道の車線を削減して写真12のような「自転車道」ができた。詳しいことは割愛するが、従来の「自転車道」や「ソフト分離』と同様、幹線道路同士の交差点の巻き込み部では自転車と歩行者の動線が合体する。1.3kmに8億円をかけた事業の結果がこれである。

写真12 「自転車道」が途切れ、歩行者と合体する巻き込み部

 先に触れたモデル地区の募集に際して、国土交通省と警察庁は『自転車利用環境整備ガイドブック』を発表したが、「自転車道」の交差点部では「普通自転車歩道通行可の交通規制を実施し、自転車を自転車歩行者道に誘導することを検討」とある。つまり、従来のように巻き込み部で合体させてもよいということである。この種の稚拙さには辟易する。
 一方、「自転車レーン」の場合は一方通行であり、欧州の自転車道と同様なものである。ところが、「自転車レーン」に関しても交差点部については「自転車道」と同様な記述がある。しかし、それは却下することとしよう。そして、図6に示すように交差点において歩道と完全分離し、横断帯を直線的に伸ばして自転車の走行性を確保する。歩行者と自転車の安全な通行方法はこれしかない。修正主義は時間の無駄であろう。

図6 「自転車レーン」と自転車横断帯のデザイン(歩車分離信号の場合)

まずは歩道通行における自転車の一方通行化を

 このような「自転車レーン」の整備は概して安価であり、その気になれば普及するだろう。ただ、それをスムースに進めるためにも、今すぐにでも取り組むべきことがある。それは自転車の歩道通行、横断部通行における一方通行化である。歩道の一般部においても、巻き込み部や横断部においても、歩行者と自転車の軋轢を深刻にしているのが、自転車の対面通行である。一方通行化は「カラー分離」や「自転車道」整備よりも、歩行者の安全性を高めるのに効果的であるし、お金もかからない。
 同時に、一方通行化は自転車の安全性を高めるためにも必要である。図7は現状におけるクルマとの関係を表現したものであるが、歩道通行ですっかりスポイルされた自転車はクルマを恐れる意識が希薄化し、無謀な横断が多い。そうした自転車を含め、四方八方から突進してくる自転車を、左折や右折のクルマは、十分視認できるだろうか。これが自転車対クルマの事故を招いていることは誰の目にも明らかであろうが、当局にはこの点の認識が全く欠落している。先にみたように巻き込み部での合体に固執するのはそのためであろう。

図7

 自転車を一方通行とすれば、クルマは自転車AやBなど、注意を向けるべき範囲が定まり、安全性は高まる。これが過渡的段階における整序化の第1歩であると考える。

おわりに

 「歩行者と自転車の道の革命」のPDFファイルを入れたCDを、知己を得ていた元国土交通省技術職トップのO氏にお送りしたところ、その礼状に「道路の財源を自動車が負担しているという仕組みが崩壊した今こそ、特に都市中心部の道路空間のシェアのあり方を考えるときと考えています」と記されていた。同じようなことを中堅のキャリア官僚との話でも聞いたことがある。見識を備えた官僚は珍しいわけではない。
 一縷の望みがあるかのようであるが、官僚組織は頑強な不作為体質であり、指導者が2年の任期で異動すれば元の木阿弥である。とりわけ、歩行者や自転車といった生活に密着する分野に中央は疎いので、何をやるにもシンクタンクと称する天下り団体に委ね、次に民間コンサルタント会社に委託される。しかし、それらは前例主義に埋没した組織であり、現実を直視し、創意工夫する資質がない。この構造全体を改善することは絶望的だと思う。
 地域から変えていく。そのため、市民が賢くなる。術はこれしかないと思う。それにつけても、地方自治の進んだ欧州が何ともうらやましい。

(会報『クルマ社会を問い直す』 第63号(2011年3月))

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